【来日公演決定】"カオスこそが人々と繋がる接点"Holly Humberstone
7月にHolly Humberstoneが初の来日公演をおこなう。
今回はこの貴重なライブに備え、彼女の音楽にどのような魅力があるか、それらがどのようなルーツを持っているかを紹介し、ライブがより楽しみになるような特集をお届けする。
Topic 1 創造性に溢れた"ホーム"
Holly Humberstoneは4人姉妹のひとりとして、イギリスのグラムサム*1で生まれた。
グラムサムはリンカンシャー州にある、かなり自然に囲まれた田舎町。
彼女の両親は幼いころから、自身の子供たちが常に「創造的」でいられるよう支えたそうだ。
絵画や音楽など方法は問わず、芸術的な表現を勧め、クリエイティブを育む環境が、まさしく彼女のアーティストとしての今につながる。
彼女の興味を惹いたのは詩作と音楽であった。
両親のCDコレクションの中からいろんな作品を漁り、特にDamien Riceの"O"というアルバムは初めてお気に入りになった作品で、とても好きだったことを覚えているそう。
その後もRadiohead, Bruce Springsteen, Nora Jones, Led Zeppelin, Pink Floyd等多くのアーティストから影響を受けたという。
Topic 2 自身の"カオス"を人々の共感へとつなぐ"ありふれたもの"に昇華する音楽
彼女は楽曲制作のことを自分にとってのセラピーなのだとしばしばインタビューで答えている。
幼少期より曲を書く目的は変わらず、ただ頭の中のカオスを曲へと昇華することで、自身にとっても理解できるものとして整理する。それが自分自身にとっても一種の癒しなのだ。
頭の中のカオスとは、自分自身の日常生活や感じたもの、経験したものから来る。それらは特別なものではなく、誰しもが(特に世代の近い人々が)体験しうるものなのだ、と彼女は語るのだが、それを表す表現としてしばしば"universal thing"という文言を用いているのが印象的だ。
だからこそ、自身の経験や感情をもとに描かれる楽曲が、多くのリスナーにとっての共感性を帯びて、人々と感情を繋げる接点となるのではないか。
彼女はYouTube上の各楽曲MVにて、しばしばその楽曲や歌詞の背景であったり、MV制作にあたっての意図などを自ら記載している。例えば、"The Walls Are Way Too Thin"では、ロンドンへと引っ越した後の苦しみなどについて歌っていること、MVでの描写についてなど細かく語っているので、興味があればそちらも各楽曲参照してみてはいかがだろうか。
音楽性の広さも彼女の魅力のひとつだ。
ポップな曲調がメインながら、エレクトロな要素を含むものから、より静かで聴き入ってしまうようなバラードまで。
その音楽性の広さから、数多くのアーティストとも既にコラボをおこなっており、"Please Don't Leave Just Yet", "Sleep Tight"では、The 1975のフロントメンバーであるMatty Healyとも共同制作をおこなっている。*2
(※こちらは"Heat Waves"など世界中で大ヒットを飛ばすロックバンドGlass Animalsとのコラボ)
ライブパフォーマンスにおいてもバンドでの演奏から弾き語りまで、
またときには自らの楽曲に加え、RadioheadやPrinceの楽曲を自分色にカバーし披露したりもしている。
Topic 3 新人賞を総なめ、いよいよリリースされるデビューアルバム
2021年にはBBC Sound of 2021の2位を受賞。
(過去にはBillie Eilish, Frank Oceanなど選出され、多くのアーティストにとってブレイクのきっかけとなっている。)
今年2月に開催されたイギリス最大の音楽賞The BRIT Awards 2022では、新人賞にあたるRising Star Awardを受賞した。
こちらも過去にAdele, Florence + The Machine, Sam Smith等錚々たる受賞者が並ぶ。
(受賞が伝えられた際のエピソードも秀逸。Sam Fenderとの共演中にサプライズで伝えられた様子がこちら↓)
この春には世界最大級の音楽フェスCoachella Festivalに出演。
4月よりスタートしたOlivia Rodrigoの北米ツアーにもサポートアクトとして抜擢されたほか、前述の通り、Matthy Healyを共同プロデューサーに迎えた最新シングル"Sleep Tight"をリリース。
そして今後は待望のデビューアルバムのリリースを予定しているとのこと。
まさしくキャリアのターニングポイントともいえるこれ以上にないタイミング。だからこそ彼女のライブを今見たい。
果たして日本でのライブ*3ではどのような演奏を目の当たりにすることになるのか。
彼女の"カオス"が昇華された音楽が実際に演奏されるのを目の当たりにして、
人々ひとりひとりと共鳴し合う。はたしてそれがどのような光景となるのか…。
きっとその場に居合わせた方々にとって、とても忘れられない瞬間になるだろう。
"幻想の上に浮かび上がるリアリティ" Skullcrusher
ー"I saw it written and I saw it say Pink moon is on its way…"
アコースティックギターの音色とNick Drakeの歌声が聴こえる。"Pink Moon"を聴きながら、彼女は人生の岐路に立たされていた。ー
Skullcrusherは米LAを拠点に活用するアーティストHelen Ballentineによる音楽プロジェクトである。2020年に1st EP'Skullcrusher'をリリース。今年4月には2nd EP'Storm in Summer'がリリースされたばかりである。
今回の主人公Helen BallentineはいかにしてSkullcrusherという「プロジェクト」を通じて音楽を世に伝えるに至ったのか。彼女の音楽の魅力と共に紹介したい。
音楽こそが自己表現の手段
米NYの街Mount Vernonで育ったHelen Ballentineは幼少より芸術が身近にある環境の中で育った。
地域のシアターで女優としてステージに立っていた母、バンドのミュージシャン経験のある父。両親から多大な影響をもらった彼女が手にしたのは”音楽”だった。5歳からピアノを始め、気づけば頭に浮かんだメロディをもとに作曲をしてみたり。初めて作った曲は"Wild Kitty"というタイトルだったとか。
初めてハマったのはThe Beatlesだった。彼らの楽曲をたくさん練習した。
高校生の頃はとにかくRadioheadを聴いて過ごした。Coldplayの"Viva la Vida"に胸をときめかせたティーンエイジャーでもあった。
そしてこの頃にはギターを手に取り、カフェでカバー曲を演奏し始める。
Helenはアートにも関心を持ち、LAの大学に進学した後はスタジオアート(制作)を専攻、そのままギャラリーの助手の仕事に就く。
しかし朝出勤し夕方帰る仕事中心の生活がHellenには合わなかった。
かつてミュージシャンをしていた父が、銀行員として働くことを選び悔いを残していたことを思い浮かべる。
一大決心の末仕事を辞め、Helenは新たな道を選んだ。自信があるわけでもなく、不安に苛まれる彼女の傍らで流れていた音楽、それは"Pink Moon"だった。
Nick Drakeは1960年代末から70年代初頭にかけて活動したミュージシャン。生前は商業的成功に恵まれず、病気にも悩まされながらも、音楽を生み出そうともがき続けた彼が最後に出したアルバムこそが'Pink Moon'だ。
収録されていた表題曲("Pink Moon")を聴きながらHelenは、ここにある音楽とNick Drakeが抱えていたであろう感情はまさに同一で、彼自身をリアルに感じられる、そう感じたのだった。
そうして彼女はミュージシャンとして生きていくことを選んだ。なぜなら音楽こそが自身にとっても最大の自己表現だと理解していたから。
繋がりに導かれた'プロジェクト'
ところでこの'Skullcrusher'というインパクトのあるアーティスト名、彼女の音楽性を少しでも知っていれば違和感を持つかもしれない。フォーク寄りで穏やかな音楽と「スカル」はなかなか結び付かない。
なんとこのアーティスト名は元々、自身が取り組んでいたDJ活動のために用意したもの。大学生の頃、Hellenは親友であるAnnaにエレクトロ音楽を紹介され、DJによるショーにも2人でよく通ったのだが、あるときお揃いで履いていった「髑髏の装飾が施されたブーツ」 これがアーティスト名の由来となっている。Annaとの出会いは、(彼女の現在の作風とは遠く感じるような)EDMなど多様な音楽に興味を持つ大きなきっかけとなった。
音楽制作において二人三脚で取り組む、自身のパートナーでもあるNoah Weinmanの存在は、Skullcrusherというプロジェクトにおいても欠かすことのできないものだ。Noahは同じくロサンゼルスを拠点に'runnner'という音楽プロジェクトを通じ活動するアーティストで、SkullcrusherのEP2枚ともにプロデューサーとして参加している。
LAにて数年前に出会って以来、ミュージシャンの道を進む者同士一緒に楽曲を作るプロセスを楽しんでいる2人。
初めてのEP'Skullcrusher'はNoahのガレージで制作することになる。2019年6月のある日、楽曲タイトルも無いまま初めて録ったのが、後の"Places / Plans"だった。
同じく収録曲である"Trace"ではNoahがボーカルやバンジョーで演奏にも参加したほか、"Day of Show"は2人の関係性について歌った楽曲だった。
アーティストとしての活動には、楽曲制作や演奏だけでなく多岐にわたる。特にアーティスト本人に芸術の美学があれば尚更だ。
HelenはSkullcrusherとしての活動において、自身のアーティスト写真やアートワーク、楽曲のMVなど多くの部分で自ら制作に携わっている。そのパートナーとして大きな役割を果たしているのは、Silken Weinbergだ。ロサンゼルスでディレクター、写真家として活動する彼女はプロジェクトに関わるビジュアル面や美学の部分に携わり、EP'Skullcrusher'のアートワークやアーティスト写真の撮影、スタイリング、グッズデザインなど多くをおこなっている。
SkullcrusherのMVの多くでディレクターを務めており(冒頭で紹介したライブ映像も共同ディレクター)、中でも同じくHelenの友人であるJeremyと共にディレクターを務めた"Trace"のMVは不思議な世界観がとても印象的。
そう、LAでの生活そして出会いは、アートの仕事を辞めミュージシャンの道を選んだ今でも、決して無駄ではなかったのだ。
'Skullcrusher'とはHelenにとって家族のような存在と繋がっている場所。人との出会いや繋がりがこのプロジェクトの大きな一部分を形作っている。
幻想の中に自己を映し出す音楽
ファンタジー作品が好きだというHelenの書く歌詞は生活の一部分を描くものが多い。それは物語のワンシーンかのようで、ときに幻想的にも映る。
そうして小さな文脈に多くの思いを詰め込む、というのが彼女のスタイル。
"Places / Plans"は、ステージに立ち演奏する友人を見ながら、自身はそうなれるか見通しの立たない未来を想う楽曲だ。
実際にHelenが自身のパートナーの所属するバンドのライブを見た際の経験をもとにイメージが湧いたとのこと。同じ時期に両親へ自身の抱える不安を打ち明けた経験も交え、楽曲では自身の不安が次々に言葉となって歌われる。
Do you think that I'm going places?
Does it matter if I'm a really good friends?
That I'm there when you call and when your shows end?
Can I make it out there as I am?
Without my name on a door or a headline band?
I don't have any plans for tomorrow
彼女にとってこの曲が初めて、言葉を選ばずとも自然に浮かんでくる、まさしく本当の自分を表現できた作品となった。
「音楽こそが自身にとって最大の自己表現だ」という理解はいつしか確信に変わっていた。
別れを描いた楽曲"Trace"の一節
You' re looking at me now but your gaze is hollowed out
you don't ask me how my day went
あるいは自身が遭遇した雷雨のなかの嵐と感情の揺らぎを重ねた"Storm in Summer"の一節
I wonder how you think you know who I am
などを耳にすると、Helenの生み出す音楽のテーマは「理解」なのではないかと思う。
最大の自己表現としての音楽、それに対しリスナーが抱く感情。
穏やかで幻想的な音楽の上に浮かび上がる彼女自身のリアリティと、音楽を通じた他者からの理解が重なる部分にこそ、Skullcrusherというプロジェクトが生み出す魔法が宿るのではないだろうか。
(参考記事※英文)
Skullcrusher is on the rise | Interview | The Line of Best Fit
Duality, Horror, and Creative Solitude: An Interview with Skullcrusher - Atwood Magazine
It’s All in the Mind: An interview with Skullcrusher — Teeth Magazine
Skullcrusher is a Family Affair | Office Magazine
INTERVIEW: Helen Ballentine is Skullcrusher - Culture Collide
Skullcrusher: LA's rising alt-folk star seeks shelter from the storm
Skullcrusher's Helen Ballantine On 'Storm In Summer,' and Figuring It All Out
【第2回】新譜オススメ(Roniit)
「XIXI」/ Roniit
Roniitは「カリフォルニアの森の中」出身で、現在はバリを活動拠点としているという女性アーティスト。彼女の音楽はとにかくお伽話の世界の中にいるかのように錯覚する深みある神秘性と透き通る歌声が特徴です。Roniit自身も今作を聴く際にはその音楽に浸ってもらうべく「部屋を真っ暗にして聴くといいよ」とおすすめしています。「XIXI」とは、彼女曰く「人生における運命めいたもの」のシンボルであり、彼女自身の生まれた月日の合計、年と日付の合計が偶然それぞれ11だったことから気に入り昔から至る所に書いていたというユニークなエピソードもあるようです。
今作からのシングル曲「Fade To Blue」はイチオシの曲で、彼女の音楽にしか生み出し得ない特異な世界観に一発で心を鷲掴みされます。彼女自身の幻だったかのような恋と揺れ動く感情をもとにしたこの曲は、思慕していた相手と訪れたヨシュアツリーにて夜明けと共に相手が消え失せた体験から、夜空が日の出と共に青くなる様をタイトルにつけたとのこと。MVのRoniit自身がビジュアル面も担当して幻想的な映像作品に仕上がっています。
アルバム通じての世界観がとにかく聴き手をのめり込ませる圧巻のアルバムだと思います、ぜひ。
【第1回】新譜オススメ(guardin,LoneMoon)
今年は自分が聴いて好きになった作品を度々簡潔にオススメしていきたいと思います。
不定期連載企画として「新譜オススメ」というありきたりなタイトルでやっていきますので宜しくお願い致します。
毎回ここでしか読めないような内容・ラインナップをお届けできればと思います。参考にしていただけると泣いて喜びます。
今回はこちらの2作品。
「creature pt.2」/guardin
2020年1月10日リリースされたEP。前年リリースされた「creature pt.1」に引き続く2部作。guardinはニューヨーク出身のシンガーソングライターです。
冒頭曲「backup」はアコースティックギター弾き語りで進行していく楽曲で、彼のメロディの魅力が早くも感じられますが、真骨頂が発揮されるのはここから。
なかでも「alive」が一際クール。シンプルな音作りのエレキギターのフレーズが終始流れ、かと思えばトラップ要素を多分に含み、ボーカルはラップのように言葉を畳み掛ける。途中には京浜東北線のアナウンスがサンプリングされたりと、仕掛けの多い曲ですが雑多には感じられずとてもエモーショナルでした。
彼の音楽を聴けば聴くほどジャンル分けってものが無に帰すようで、それってとても夢があることのような気がします。ジャンルという枠をぶち壊すような、彼にしか生み出せない音楽が堪らなく好きです。
ジャンルレス・ハイブリッドな新世代のSSWを挙げるならClairo,Rex Orange Countyと共に私は彼を挙げたいです。楽曲やEPは多くリリースしているものの、いまだフルアルバムをリリースしていない彼。今年大注目です。
「andromeda」/LoneMoon
LoneMoonはソロアーティスト、ジャンルとして括るならヒップホップですが一人で全てのトラックを制作しており、これまでもチルやダブ、インディーロックなど様々なジャンルの音楽を生み出しています。
「first real debut」と表して2019年12月20日にリリースされた本作も、エレクトロを中心にヒップホップ×R&Bや音楽が広がっています。音の使い方や楽曲のもつ独特の世界観、歌い方などLoneMoonにしか無いもので刺激的ですが、同時に不思議と親しみやすさを自分が感じたのは、LoneMoonの持つ「世界中、宇宙にまで愛を広げる」というテーマから生み出される優美さが成せる業でしょうか。
「www」は重低音と奥で鳴り続ける電子音に乗って軽やかにラップが重ねられていくのが快感ですが、ときおりハンドクラップと一緒に「いち!に!さん!し!」と日本語のカウントが入るのが癖になり一番お気に入りの曲。
今年も新たなアルバムやミックステープのリリースを予定しているとのこと。既にリリースされているミックステープからの先行曲もとてもかっこよく、今から期待です。
2010年代アルバムマイベスト
極めて私的な10年代ベストアルバム、今回は海外のアーティストがリリースした中から10枚。
「Noel Gallgher's High Flying Birds」(2011)
Noel Gallgher's High Flying Birds
初めて生でライブを見た海外のアーティスト。「Everybody's On The Run」の間奏で、初めて生演奏を聴いて号泣した。そうして音楽を聴く上でたくさんのきっかけをくれたのがノエルギャラガーでありこのアルバムだった。そんな作品を一生大事にしたい。
「James Blake」(2011)
James Blake
初めて彼のライブを見たとき、ようやくその音楽の真髄に触れた。ステージ上には3人。ギターとベースを兼ねる者、ドラムと電子パットを自由自在に駆使する者、そしてキーボードを弾きながら歌声を届ける者。
「Limit To Your Love」が披露されたときの会場中が聴き入るような空気感も、2ndアルバムに収録される「Voyeur」がより激しいテクノに変貌し照明と相まってとんでもないことになっていたことも思い出せる。
そしてライブの最後で「The Wilhelm Scream」が演奏されたとき、ひとつの音楽を聴いて異なる矛盾するような感情を重ねても良いんだなと悟ったのだった。ノリノリの曲にテンションを上げて、バラードにうっとりするだけが楽しみ方じゃない。ひとつの曲を聴きながら、美しい音色への恍惚感や寂寥感も、曲の展開への興奮も、あらゆる感情をごっちゃにして楽しんで良いんだなと。自分の心中なんてそう一つに括れるほど単純なものじゃないんだからこそ、そういう楽しみ方も素晴らしいんだよと教わった宝物のような時間。
「The Last of Us」(2013)
Gustavo Santaolalla
自分にとってゲームサントラは、音楽ライフを振り返る上で欠かすことができない。ゲームサントラが好きなのは、曲として好きなだけでなくそこにゲームを通じて得た物事を重ねることができるからだ。
それはゲーム内の壮大なストーリーだけでなくて、なかなか攻略できずに四苦八苦してプレーしたことや、続きが気になって仕方なく夜通しゲームした現実世界での自分の振る舞いも重なっていく。
The Last of Usという物語はとても面白い。そして作中で流れる音楽は、寂しげでどこか危うさを帯びた、一方でほんの少し暖かみもあるようなこのゲームの本質を音として伝えてくれる。
思うに、自分にとって大事な音楽っていろんなことを想い起こすことができるものなんだろう。
「Black Messiah」(2014)
D'Angelo
サマーソニックなる音楽フェスの存在を知ったのは2015年のことである。そしてD'Angeloというアーティストを知ったのも同時だ。何でもとんでもないライブをしたと様々な媒体でしきりに話題になっていた。
前作をリリースすると表舞台から姿を消し、山にこもったりした後に14年ぶりにアルバムを出し、そして満を持して翌年に初来日を果たしたという彼のことが、ライブの評判も相まってとても気になった。
CDショップで買ったアルバムを聴いてみる。よく分からない…。なにかドス黒くて恐ろしく、今までに聴いたことのなかった音楽。聴き込む。分からない…。ギターロックばかり聴いていた自分にとっては異物感しかなかった。そんなタイミングで再来日、単独公演が決まる。相変わらず理解できずにいた彼の音楽、けれど不思議とライブ会場に向かわなければいけないような気がした。
ライブ当日、一時間以上経っても始まらない。そわそわしている自分をよそに、開演遅れのアナウンス。それを聞いてなお余裕ある微笑を浮かべる周りの観客たち。20歳そこそこのぺーぺーなどお呼びでない、来てはいけないところへ来てしまったのだと思った。
いよいよ彼がバンドを率いて登場した。最初の一音から全ての疑心が弾け飛んだ。理解できないと思っていた彼の音楽が、とてつもなく輝いて聴こえた。拍手をしたり歓声を上げるだけでなく、音に合わせて自由に身体を揺らすという楽しみ方を知った。
全席指定のホールを見回してD'Angeloが観客に手招きをした。10列目に座っていた自分は彼のその煽りに操られたかのように席を立ち、ステージの真ん前へと駆け出していた。そんな若造を見て会場中の観客たちが続いた。初めて席のある会場の前方がライブハウスさながらのスタンディングとなる瞬間を見た。手を差し伸べた私に彼は力強くハイタッチしてくれた。鍛え上げられた彼の身体を覆う大粒の汗がとてつもなくかっこよく映った。
このアルバムは自分がロック以外の音楽も好きだということを気づかせてくれた作品で、D'Angeloという男は自分にまた新たな音楽の楽しみ方を教えてくれたのだ。
「Syro」(2014)
この頃になるとロック以外の音楽も聴いてみたいなと、漠然とした興味を募らせていた。ほとんど情報源を持たない中で、数少ない贔屓にしていた音楽ブログで紹介されていたこのアルバムを知る。店頭で手に取るも、シンプルなアルバムのアートワーク故にどんな音楽が聴けるのか想像できなかった。
そんな状態でCDをオーディオに突っ込む。何だこれは…!!何が起きているのか分からない。分からないのだけど、まるで流れの激しい渓流に投げ出され身体を弄ばれているかのような感覚を前に、私は気持ちいいなと思った。予想のつかぬ展開の連続、聴いたことのないような音の絡み合い。
一生懸けても世界中の音楽を楽しみ尽くすことなんてできないだろうな、と感じ取った初めての瞬間だった。
「Ghost Stories」(2014)
「Viva La Vida or Death and All His Friends」もしくは「Mylo Xyloto」で存在を知り、遡って聴く内に「A Rush of Blood to the Head」がお気に入りのアルバムになったColdplayというバンド。
彼らのアルバムで一番好きなのが、初めてリアルタイムでリリースを迎えることができたアルバム「Ghost Stories」だ。
多感だった学生時代に、このアルバムの温度感は堪らなく自分に馴染んだ。大好きな彼らのメロディはそのままに、抑えられたミニマムなサウンドを伴っていて、魔法みたいだなと感じた。
アルバムというフォーマット故に、じっくり腰を据えて向き合う必要のある作品も多い。けれどこの作品で描かれている感情はとても身近で、肩肘張らずに何度も何度も聴いた。
一番好きな聴き方。日を跨ぐ40分前に電気を消して、真っ暗な部屋で布団を深々と被る。イヤホンをズッポシと耳に突っ込んで、Walkmanで再生する。するとどうだろう、真っ暗な部屋のなかに星空が浮かぶのだ。「Always In My Head」にグッと引き付けられて、「Ink」の軽やかさにリラックスして、「Midnight」のサウンドと共に意識と現実の境界線を曖昧にする。そうして「A Sky Full of Stars」に到達したとき自分の意識は窓の外へ、街灯の明かりを越えて向こうに見える山を越えて、ようやく望める無数の星々のもとまで飛んでいくんだ。慈愛を可聴化したような「O」のピアノの音色に包まれたまま、いつの間にか眠りにつく。
東京ドームでの来日公演。中盤で「Always In My Head」「Magic」を披露したほんの数分、あの時間だけはちっちゃな部屋にColdplayの4人と自分だけがいるかのような気分になって、その夜は久し振りに一番好きな聴き方でアルバムを聴いた。
「A Moon Shaped Pool」(2016)
高校生の自分。音楽ブログでおすすめされていた彼らのアルバム「The Bends」を聴く。かっこいい、すげえ…。洋楽を聴きはじめたばかりだった自分には、ギターロックでありながら唯一無二で複雑に展開するこのアルバムの楽曲はすこぶる新鮮で、病み付きになった。
よし、このバンドのアルバムを他にも聴いてみよう。「OK Computer」を聴く、ちょっぴりピンとこない。「KID A」を聴く、なんじゃこりゃ?ギターロックの頂きに到達したかのような「The Bends」のその先の風景を期待した青年には肩透かしに思えた。自宅のCDラックからしきりに取り出されるのは買った3枚のうち1枚きりになっていた。
3,4年が経ち、2016年。サマーソニックにRadioheadが出演することになった。新しいアルバムも出た、どうやらでストリーミングサービスというやつなら先行で聴けるらしい。きっとかつて自分が望んだようなギターロックがに聴けるわけではないのだろう。それなのに、不思議と急かされるような気分でApple Musicというものを始めた。
やっぱり「The Bends」とは違ったし、もちろん「OK Computer」とも「KID A」とも違った。だけれどとても、とても心地よく聴こえた。この数年いろんな音楽を聴いてきた。自分の耳は様々な音楽を聴くことに喜びを覚えていた。
もう一度「OK Computer」を聴いてみた。こんな歴史に残るとんでもなねえアルバムがあるのか!と一人で沸き立つ青年がそこにいた。
生で聴かないとダメだ!と確信して、友達を誘い初めて音楽フェスというものに行った。そしてあの2時間、夢中で見ていて記憶なんて残す余裕がなかった。それでも、今このアルバムを聴けば「Burn The Witch」と共にライブの始まったときの胸踊る感覚を、「The Numbers」と共に肌を撫でたやや肌寒い海風を思い出せる。くっきりと。
「Coloring Book」(2016)
Chance The Rapper
2018年、ヒップホップというジャンルを牽引する彼がサマーソニックにて待望の初来日を果たす。
自分は全くヒップホップというものを聴かなかった。ギャングスタラップへのイメージのせいか、どうしてもどこか血生臭くて怖い印象をこのジャンルに抱いていた。平坦で淡々とラップを紡いで捲し立てる印象があって、自分の楽しんでいる音楽とは全く別の世界のものだという先入観を抱いていた。
海外の音楽をネット上で追うようになると、ヒップホップの話題を避けては通れなかった。良い機会だからとこのアルバムを聴いてみる…。
おやっ?思っていたのと違う。とても音色がカラフルで豊潤で、喜びや幸福といったものを感じ取った。抱いていた先入観なんぞ、すっかり地の底へと消え去ってしまっていた。まだ見ぬ光景が見れるんじゃないかと予感した。
サマーソニック当日。こうしてヒップホップを聴き始めたばかりの自分には懸念があった。アーティストのラップに付いていけるのか。ライブ映像を見ると観客はみな流れるようなラップに声を合わせている。どうしたものかと思っていたら、後ろにいた二人組の外国人が話しかけてくれた。
「とても楽しみなんだけど、付いていけるか不安だよ。」と伝えると、満面の笑顔でこう返してくれた。「大丈夫、自由にテキトーにやって楽しめばオッケーだよ!私がバッチリ引っ張るから任せて!」と。
約70分間のステージ、自分は歌詞もあやふやでボロボロだったけど、好き勝手に歓声を上げたしデタラメな文章を口走ったし、鼻唄でフフフーンとごまかした。とてもとても楽しかった。会場の観客たちがヒップホップが下火だと言われて久しい日本に来てくれたChance The Rapperへの感謝と敬意と愛情をどうにかして伝えよう、めいっぱい返そうとする姿。それを見て嬉しそうに感極まった表情を浮かべる彼。あんな愛情が溢れた光景は、彼の音楽と共に一生忘れられない。そしてもちろん、自分の真後ろでどの曲もバッチリアーティストばりに歌えていたあの外国人のことも。
「iridescent」(2018)
BROCKHAMPTON
ヒップホップへの入り口に導いてくれたのがChance The Rapperだとすれば、その奥に広がる素敵な光景へと手を引いてくれたのがBROCKHAMPTONだ。2018年のサマソニが終わり、いろいろヒップホップも聴いてみようと思った自分が辿り着いたのは「iridescence」というアルバムだった。
アルバムタイトルが意味する「玉虫色」がとても似合うグループだなあ、と聴けば聴くほど思った。6人が代わる代わるパートを担っていくスタイルや、幅広いメンバーのパフォーマンスに沿うような多彩な音楽によって、ヒップホップを楽しむDNAが自らの細胞内に新しく生成されていく感覚。
19年の夏、サマーソニックへの出演とそれに先駆けての単独公演が決まった。「ワン・ダイレクション以来のボーイバンド」と称する彼らのライブは戦隊ヒーローショーみたいに華やかでド派手で、どのメンバーを見ていればいいのかと目が回る。ステージに立つメンバーの名前に始まり定番曲のラップパートまでしっかり覚えて、会場中の観客たちと声を合わせて捲し立てるように叫んだ。後方ではメンバーに促され、感情
を爆発させるような幸福感のあるモッシュも巻き起こっていて、ヒップホップのライブの楽しさを分かった気がした。
だから感謝を伝える気持ちで手を差し伸べたら、Kevin Abstractが力強く握り返してくれた。惚れないはずがなかったので、8月15日はKevinファンになった記念日。
「A Brief Inquiry Into Online Relationships」(2018)
The 1975
忘れもしない2018年11月30日0時ちょうど、私は夜行バスに乗っていた。どうせ眠れないからとイヤホンをつけてリリースされたばかりのこのアルバムを聴いた。
いつもと違う雰囲気のオープニングトラック「The 1975」が得も言われぬ期待感を煽り、そこから57分間一瞬足りとも聴き逃すまいと齧り付いて耳を傾け続けた。
この時代に生まれて良かった、と心の底から思えた。この2010年代になって海外の音楽を聴き始めた自分には、ひねくれた性格ゆえの歯痒さがあった。
どの時代のリスナーにとっても、自分の世代を代表するようなロックバンドがいる。60年代ならThe Beatles,70年代ならSex Pistols,Queen,80年代ならGuns N' Roses,U2,90年代ならNirvana,Oasis,Radiohead,2000年代ならArctic Monkeys,The Strokesなど…。
音楽を好きになり過去に出た作品をいろいろ聴き、これをリアルタイムで楽しめた人は心底楽しかっただろうなと思った。では自分はどうか?2010年代、ことあるごとに「ロックは死んだ」と偉そうな評論家たちはしたり顔で言っていた。評判の良いアーティストやアルバムが出ると「○○の再来だ!」と持て囃された。自分たちの世代に生まれたものさえも、かつての栄光ある作品たちに例えられてしまう。何でもかんでも昔の世代の手柄にされるような気持ちになって、何かを奪われるような感覚で悔しかった。かつての人々が経験できたであろう熱狂を、
生で味わえることを欲していた。
それがこの日、ストリーミングサービスを通じて0時ちょうどに多くの音楽ファンが同時にアルバムを聴く。SNSを通じて余計なものが介在されることなく、皆が抱いた感動が直接周囲へと広がっていく。これまでは名盤と呼ばれる作品を聴きながら想像することしかできなかった、リアムタイムでのロックへの熱狂を初めて体感できた瞬間だった。
何度も何度も擦りきれるくらい聴いたし、全ての歌詞を逐一ノートに書き写して読み解いた。サマーソニックの出演した彼らの、命を燃やすようなライブを脳裏に焼き付けたし、彼らのライブが見たいという思いが自分に初めて海外一人旅をさせた。人がいろんな行動に駆られるようなエネルギーとなる音楽、これって凄いことだなと思う。
こうして、音楽がもっと好きになったと確信した2019年現在、このアルバムが一番大切な作品になった。
2019年が終わる。2010年代という区切りも終わる。2020年が始まるし、2020年代というひとつの枠組みがまた始まる。私は次の10年でこの10年よりも音楽が好きになれる確信がある。
そして2020年代が終わるとき、私はどんな風にその10年を振り返っているだろうか。どんな素敵な音楽と知り合えているだろうか。そのときになってもまだ「次の10年でまだまだ音楽が好きになれる」と笑いながら言っているだろうか。
きっとそのときはこの文章を読み返しているはずだ。笑ってくれていると嬉しいな。