音楽紀行(ライブレポ、アルバム感想・レビュー)

ライブに行ったレポートやアルバムの感想・レビュー。好きな音楽を見つけるツールにも

Puma Blueと谷崎潤一郎「陰翳礼讃」

 2021年1月29日に待望のデビューアルバムをリリースするPuma Blueですが、そのアルバムタイトル「In Praise Of Shadows」は和訳すると「陰翳礼讃」と表されます。この言葉は日本を代表する文学作家である谷崎潤一郎による同名の随筆が由来とされており、Puma Blue自身もタイトルをこの作品からとったと作品のステイトメントにて述べています。

 

 

そこで今回は、Puma Blueの音楽性やデビューアルバムからの先行シングル「Velvet Leaves」の内容と、「陰翳礼讃」の考え方を絡めながら来たる新作の内容を空想していきます。

 

1. Puma Blueについて

 Puma Blueは英ロンドンを拠点にして活動するシンガーソングライターJacob Allenのアーティスト名です。

2014年にSoundCloud上にアップした楽曲「Only Trying 2 Tell U」が多くのリスナーから注目を集めると、2017年には初めてのEPとなる「Swum Baby」(アートワークには写真家の吉行耕平の作品を使用)をリリース。2018年には2枚目のEP「Blood Loss」をリリースしました。

(こちらでより詳しく紹介してくださっていますので是非!)

motolab.jp

 

彼の音楽の特徴は官能的でしっとりとした感触をもつ繊細な演奏と、そこに乗っかる彼の寂しげでありまた甘美さを帯びた歌声にあると感じます。大きく影響を受けたと本人が挙げるのはJeff Buckley, D'Angelo, J Dillaなど。

ジャズサウンドにソウルやファンク、ローファイやシューゲイザーといった様々な要素が織り交ざった音楽、といった風に紹介されることが多いようです。

 

2.「陰翳礼讃」と谷崎潤一郎について

 谷崎潤一郎は明治末期~昭和中期にかけて活動した文学作家であり、「痴人の愛」「春琴抄」などが代表作として挙げられます。

ja.wikipedia.org

 

陰翳礼讃」は彼が昭和8年(1933年)から同9年(1934年)に雑誌「経済往来」に掲載した随筆です。ここでは日本伝来の生活様式・風俗に着目し、そこにある「影や暗がり」から生じる美しさが論じられています。その内容を簡単に紹介したいと思います。(文学について筆者は初学者であり、谷崎潤一郎の著作についても疎い部分が多いことを予めご理解いただきたいです。)

 

本随筆がかかれた当時の日本は、明治以降の文明開化・技術革新により西洋文明が日本古来の文化へと流入、急激に変化していました。日本家屋と電気・水道・ガス等設備の調和がどうにも上手くいっていない、というのがこの随筆の導入となります。

日本の厠を西洋由来の水洗トイレと比較して、薄暗さや徹底された清潔さ・静けさがかえって風流なのだ、などと述べながら、文明の利器を取り入れるのに古来の習慣や趣味生活へ順応するような改良はできないものかと嘆きます。

 

そうして着目するのは、様々な生活用品における西洋と東洋の違い。西洋紙と和紙・唐紙の紙質の違い。西洋で愛される輝く宝石と、東洋で愛される鈍い光の翡翠や曇りある水晶。あるいは銀や鋼鉄等を用いて光沢のある西洋の食器と、錫を用いて使い込むことでくすんでしまう東洋の食器など。

こうした差異の起因を彼は生活様式に見出します。古来の日本家屋には「陰翳」がつきものであり、これら生活用品の美しさはこの陰翳の中でこそ際立つのではないかと言うのです。ひいては日本古来の美意識はこの「陰翳」と結びついているという指摘です。

例えば、日本の漆器や蒔絵には紅や金が差されており派手に(下手すれば俗っぽく)感じるかもしれませんが、かつての日本家屋は蝋燭の灯りのみが光源であり、薄暗い中に浮かび上がる彩色こそが映えるのです。

 

日本家屋に目を移すと、広い屋根や縁側、障子や砂壁は外より射し込む日光の輝きを鈍らせます。仄暗さや繊細な明るさを楽しみ、部屋を包む影の僅かな濃淡こそが日本古来の美意識の対象だったのだと説きます。例えば京都や奈良の寺社仏閣に訪れたときに薄暗さを感じたことは無いか。そうした中で影を落とす床であったり、薄暗くて掛け軸が鮮明に見えないことが、かえってしっくり来るのではないでしょうか。

 

 

部屋の奥の暗がりに立て掛けられる金襖や金屏風、あるいはかつて滅多に外出しなかった女性の服装などを踏まえても、日本の伝統美とは、美を物体ではなく、物体と物体との創り出す陰翳・明暗に見出すものだと彼は結論付けます。

 

(※参考「谷崎潤一郎随筆集」篠田一士編(岩波文庫))

 

ja.wikipedia.org

 

3. 新曲「Velvet Leaves」と来たる1stアルバム「In Praise Of Shadows」について

 

 さて長くなってしまいましたが、上記の通り「陰翳礼讃」とは一言で言うならば、暗がりにあってこそ美しさが際立つ存在を愛する美意識であると私は考えます。

それではJacob Allen(Puma Blue)は1stアルバムにどのような思いで「In Praise Of Shadows」と名付けたのでしょうか。ひとまず収録曲である先行シングル「Velvet Leaves」について触れてみましょう。

 

 

 

この曲にはついては彼自身がSNSにてどのようなメッセージを込めたのか解説しているので、まずはそちらを紹介します。 

 

「私はこの曲を昨年あっという間に一日で書き上げてしまいました。しかし言おうとしていたことを形にするのはとても長い時間を要したのです。5年前私の姉(妹)はひどい状況にあって、ある日私たち家族は彼女を失いかけたのです。

天の恵みのおかげで彼女は生き永らえました。今では彼女の強さ、美しさ、賢さを、言葉では言い表せないくらい誇らしく思っています。この曲はまさしくあの日(彼女を失いかけた日)を映し出していて、どれほど私が彼女を愛しているか、家族として寄り添ってきたか、また死と生を包み込むベールについて、そして当時ステレオタイプな男性らしさというものに抑圧されて自身をうまく表現できなかった体験を歌っています。

(楽曲の)MVは彼女へのささやかな贈り物です。オルフェウスとエウリュディケのギリシャ神話*1を自分なりに表してみたもので、ジャン・コクトー*2の作品に影響を受けています。ディレクターとしてHarvey Pearson*3が素晴らしい仕事をしてくれました。」

 

 

本人の解説する通り、この曲は自身の姉(妹)が自殺を試みた体験が題材となっています。詩的な表現も多く解釈が難しいのですが、歌詞におけるポイントはこの一節でしょうか。

And in this dream we fall through velvet leaves

Ushered in reverse through the silk-like purse

Outstretching, unending, except for the ends of you 

 

見ていた夢はVelvet Leaves(イチビのこと。この曲のアートワークにはイチビの果実のようなものが写っている。)のなかを通り抜けていくような、あるいは絹の財布('can't make a silk purse of a sow's ear'=「瓜の蔓に茄子はならぬ」ということわざに用いられるように、上質なものの例えで用いられる)へと吸い込まれるかのようなものであり、どこまでも広がっていく感覚だったとここでは述べられています。表現を鑑みるにそれはとても美しく素敵な夢だったと推測されます。ただしそれは「あなたの死」を除いて。(endsが複数形なのは何度もこの夢を見ているということ?)

 

Except for the ends of you

Where's that little girl I knew?

「君の死を除いて 私の知っているあの少女はどこ?」

と繰り返す終盤は、歌声や音楽も相まって切実に響き胸に差し迫ってきます。

 

彼は「姉(妹)が体験したこと、私たち家族が体験したことの美しさについて歌った希望ある楽曲にしたかった」と語っています。なのでこの楽曲の伝えたい本質とは「大事な存在を失ってしまうのは悲しい」ということではなく、喪失というものを想像した上で「大事な存在の素敵さ、尊さを確かめる」ということ。

www.nme.com

 

つまりは苦痛に感じるような暗いものを受け止め対峙することで希望の光を見出す、その一つの形が彼自身の経験に基づきこの楽曲で描かれているのではないでしょうか。

これって、暗闇の中において美しさを見出す「陰翳礼讃」の美意識に似ているような気がします。ここで彼のアルバムタイトル、ひいては今回の記事のテーマへとつながるのです。

 

 

 

 Puma Blueの楽曲を聴くたびに私は、夜や暗闇をイメージしていました。それは楽曲の官能的な雰囲気や彼の歌声だったり、あるいは「Lil Lude (Dark Embrace)」「Moon Undah Water」「Midnight Blue」といった楽曲のタイトルや、夜の一場面を切り取ったような各EPのアートワークから連想していたのかもしれません。しかし私は決してそのイメージに対して不安だったり恐れを感じていたのではなく、むしろ居心地の良さや癒しを感じていました。

 

だからこそ、彼が満を持してリリースするデビューアルバムのタイトルが「In Praise Of Shadows」であることは、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」について知った今、とてもしっくりくるのです。彼自身がアルバムについて「暗闇の中で光を見つけることについての作品」だと語っていたように、苦悩や不安といった暗がりの中でしか見いだせない美しさを感じ取れるような作品になっているのではないでしょうか。薄暗い感覚のほうが馴染むような人々が、そこから無理して身を移さなくても魅力を堪能できるような芸術。彼のこれまでの楽曲や活動の結実といえるような作品が待っている気がします。

 

 

 

「陰翳礼讃」の末尾にて、谷崎潤一郎はこのように締めくくります。

私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとはいわない、一軒ぐらいそういう家があってもよかろう。まあどういう工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。

 

Puma Blueのアルバムは、まるで100年越しでこの考えに呼応したような音楽が詰まっているのではないでしょうか。そう空想すると楽しみも深まるばかりで、ぜひアルバムがリリースされた際には部屋の電燈を消してみて、じっと耳を澄ましたいと思います。

In Praise Of Shadows

 

*1:オルフェウスの妻エウリュディケが毒蛇に噛まれ亡くなってしまい、彼は妻を取り戻すべく冥界の王ハーデ―スのもとを訪れるという冥府下りの物語。

www2.plala.or.jp

*2:20世紀初頭より活躍したフランスの芸術家。詩人・小説家等のほか映画監督としても活躍し、1945年には映画「美女と野獣」の監督を務めた。(野獣のメイクは彼が1936年に日本を訪れた際、尾上菊五郎の鏡獅子に影響を受けた説がある。)

ja.wikipedia.org

1950年には前述のオルフェウスの神話を当時の仏パリに置き換えた映画「オルフェ」の監督を務めている。Puma BlueがMVにおいて影響を受けたと言っているのはおそらくこの作品であり、MVはオルフェウスの神話を自身の体験に置き換えたということではないかと推測される。

ja.wikipedia.org

*3:Harvey Pearsonは英ロンドンを拠点に活動する映像ディレクター・写真家。アーティストMVに関わった仕事としてはSam Smith'To Die For'(Spotify限定映像)やThe Japanese House'Maybe You're The Reason'など。

 

harvpearson.com

「BBHF1 -南下する青年-」を読んで (前編)

どうして青年は南下することに決めたんだろう?

南下「した」でもなく、南下「している」でもない。南下「する」のだ。

南下するのは「少年」ではなく「青年」だ。

 

 

BBHFがリリースしたアルバム「BBHF1 -南下する青年-」は2枚組17曲の作品。上下巻、と分けて小説のようなコンセプトで作り上げられた物語である。

この物語は北から南へと移動する青年の物語を描きながら、BBHFというバンドの自叙伝でもあり、また誰しもが過ごす生活の写し鏡でもあるようだ。

 

それならば冒頭の疑問を解き明かすには、このアルバムの音楽に耳を傾けながら、BBHFのこれまでの歩みを踏まえつつ、その一方で自身の生活をも重ねて読み解いていく必要があるのだろう。

 

 

1.流氷

踏みしめればザクザクと砕けて溶けていってしまう、それが流氷だ。定義によれば、陸地に定着している定着氷以外を指すのだという。

 

そして流氷それ自体も、こと北海道に流れ着くものでいえばオホーツク海

北岸から「南下する」存在。オホーツク海は北半球における流氷の南限なのだ。www.giza-ryuhyo.com

 

流氷とは、南下することに決めた青年であり、バンドとしての第一歩を今にも踏み出そうとしているBBHFであり、そして日々のなかで苦しみや辛さに打ちのめされながらそれでも暮らし続けている僕ら自身なのである。

 

今にも砕けようとする流氷、そのひび割れの音がドスドスとなるドラムや分厚いベース、歪んだギターの音色の中から聴こえてくる。

 

2.月の靴

BBHFの1stアルバム(当時はBird Bear Hare and Fish名義)のタイトルでもある「Moon Boots」とは何だろう?

あるイタリアの会社が作ったスノーブーツはMoon Bootと呼ばれているらしい。30年以上のロングセラーを経て今では普通名詞としても使われるとか。

www.jiro.co.jp

ならば合点がいく。北から移動することを決めた青年が、雪や氷をざくざく踏みしめて進むための靴のことだ。

 

そういえば「月」と「ブーツ」で思い浮かぶのは、アポロ11号に乗って月に降り立ったニール・アームストロングだ。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」という有名な発言とともに、月面に確かな足跡を残した彼。

www.afpbb.com

そう考えるとこれは青年、あるいはバンドの踏み出した第一歩そのものをも指すのだろう。

以前のインタビューで、1stアルバム「MOON BOOTS」は

BBHF(Bird Bear Hare and Fish)を結成して最初の第一歩で。今回の歌詞は全曲が、現状から良くも悪くも一歩を踏み出すことをテーマにして。その踏み方は良いものもあればダークなものもあって、その"一歩、踏みこむ瞬間"を歌にしました。

と語られている。

ototoy.jp

 

どこかふわふわと浮遊感のあるサウンド、さながらまだ行く末も分からず浮足立つ不確かな第一歩のよう。

 

3.Siva

ヒンドゥー教の神であるシヴァ神。様々な別名を持ち、ダンス・舞踊を司るナタラージャ(舞踏神)としての姿も。

そんなシヴァ神を最も表すものとして挙げられるのは、「恐ろしくも喜ばしい」「破壊と再生・恩寵」といった二面性である。

ja.wikipedia.org

 

BBHFがこのアルバムを出す前にリリースした2枚のEP「Mirror Mirror」「Family」は、様々な要素を2つの軸として対照し同時に表現することに試みた連作だった。

2つの軸を同時に表現していくというやり方を、今後も続けていきたくて。2つの方向性を同時に走らせて、より大きな絵を描けるバンドになりたい。

www.cinra.net

 

今作でも継続して上下巻、南北というように2つの軸を意識している部分は、不思議とこのシヴァ神の二面性にも通じるように感じた。

 

生活というものも、人間関係や愛情も、一面では語れないものだ。

暗闇や悲しみから目を背けていては、何もわからない。だから対峙することで見えてくるものを探ることが、僕らの生活には求められているのではないか。

 

それはきっとこれまでの暮らしを捨て去った青年も同じで、名前や在り方を変えたBBHFも同じ。「破壊と再生」なのだ。

 

4. N30E17

'N30E17'とはどこかの座標なのだろうか。北海道なら札幌に30条東17丁目があると知り合いの方が仰っていた。

いずれにしても青年はこの「どこか」を南へと走る、日照りに嵐に身を襲われながら。

 

ここで南下する目的が明かされる。

それは人間性を取り戻すこと。生きるため、正気を保つために理性を選ぶのだと。

そのためには大切なものすら置いていく道のり。

 

理性の対義語は感情か。ならば人間性を形作るものとは思考を巡らせることではないか。

生活を送る中で差し掛かる苦しみやつらさ。現実はそううまくはいかない。

ならば人を人たらしめるものとは、その現実を苦しい、つらいとただ叫び尽くすことではなく、その現実と向かい合ったうえで、この生活を続けるためにどうして行こうかと考え続け、変化し続け、歩みを進めていくことではないか。そう、青年の進める歩みとは現実逃避ではなくその今の生活を愛し続けるためのもの。

 

 

人は生活を続けるために、変わり続ける。

青年はより良い安住の地を求めて、南へと走る。

バンドは音楽を奏でる楽しみや喜びを失わないように、BBHFへと姿を変えた。

 

きっとそういうアルバムなのだ、この作品は。

青年の感情の揺れ動きを表すような、アコースティックギターの音色からアンビエント、そしてスケールの大きなロックへと大胆な変化。決意のような意思がひしひしと伝わる、シリアスな演奏が突き刺さる。

 

5.クレヨンミサイル

知らずにいること、無垢なままでいること。これほど楽しいことはない。明日のことなんて考えずもっぱら公園で遊び尽くした子供時代を思えば明白。

しかしそのままではいられないのだ。人はいつしか大人になってしまう。

 

Galileo Galileiというバンドは、「おもちゃの車」として歩みを終えた。

Galileo Galileiを乗り物だとすると、俺たちはデビューした頃から、ずっとオモチャの車に乗って進み続けていた感じなんです。でも大人になって体もでかくなって、今はもうぎゅうぎゅうになっていて、このまま乗り続けたら、いずれひどい形で車から転げ落ちてしまうんじゃないかって思ったんですよ。

natalie.mu

 

おもちゃの車を降りて、新しい車を(いくつか)手にしたバンド。ではもう楽しくなくなったのか?いや彼らは今こそ純粋に音楽を奏でることが楽しいのだと口々に語る。

 

同じように青年の旅路も、もちろん過酷なものなのだろうけどそれは暗いばかりの道のりじゃなくて、楽しみを見いだせる出会いや発見が多く待ち構えているのではないか。

 

大人になってしまって、子供のままではいられない違和感や恐怖や痛みも知った。それでも現実を生きて、楽しいことを考えようと歌われるのは、どんな言葉よりもワクワクする希望のメッセージだと、弾むようなメロディを聴きながら感じる。

 

6.リテイク

やり直すことが許されない時代だ、なぜなら一度の過ちが瞬時に衆目に晒されるから。

それでもここでは「リテイクする」と歌われている。

 

生活・暮らしを続けていくには、常に変わっていく必要がある。

人間関係においても、それが長ければ長い程変化していくもの。

だからこそ何度でもやり直して、より良いものを作り上げていくのだ。

 

私たちが聴いている音楽も、アーティストが繰り返すリテイクの末に届くもの。

BBHFがリリースしたEP「Family」でも、旭川の一軒家を借りて合宿したメンバーたちはデモ曲をもとにテイクを繰り返し、楽曲させたとインタビューで語っている。

natalie.mu

 

 

お互いを許し合い「やり直せる」間柄、それはずっと続く生活を担保するもの。

そんなかけがえのない人間関係へのラヴソング。

 

7.とけない魔法

溶けない」魔法?「解けない」魔法?

楽曲の英訳「Unbreakable Spell」を踏まえてもわからない。

 

流氷」で歌われたのは、ザクザクと砕けて溶けてしまう流氷。でもここでの魔法は流氷が砕けないように包み込んでくれた「溶けない」魔法だ。

ショーを終えようとしても、タネを明かしても、あなたは魔法にかかったまま魅了されてくれている。「解けない」魔法だ。

 

これは何年も前に出会った大切な相手との素敵な関係を歌った楽曲のように思える。初めて出会った時は「こんな素敵な人がこの世にいるのか!」と、魔法にでもかかったかのように鮮烈な感情も、共に日々を経ることでときに慣れ、またときに変化して失われてしまうことが常なのかもしれない。

それでもなお未だに、お互いに魔法にかかったままでいられる、そんな素敵な関係。

 

BBHFにとってそんな存在なのは、Galileo Galileiとして歩みを始めた頃から今に至るまで、ずっと彼らの音楽に魅了し好きでい続けてきたファンやリスナーの人々なのかもしれない。そう思うと、少しうるっとした。

 

8.1988

闇を纏いながら、夜を駆けるような楽曲。アップテンポな音楽に自然とマッチする。

 

このバンドはかつてもその闇と対峙したことがある。「Sea and The Darkness」はGalileo Galileiとして出した最後のオリジナルアルバムだった。そのテーマは

自分たちのこの数年の人生と、引き裂かれるような悲しみからどうにか逃れようとすること

natalie.mu

孤独や悲しみ、死の香りまで。その暗がりに焦点を当てて思考を巡らせることでこの作品は出来上がっていった。アルバムのラストを飾る楽曲「Sea and The Darkness II (Totally Black)」の締めくくりから一目瞭然ではないか。

 

青年は南下する道すがら、その暗がりを行く。

物事は変転するし、世の中の空気もどこかどんよりとしている。

死ぬよりも怖いものを抱え、人生を切り売りしてでも、駆け抜けていく。

愛情を燃料にして、病的なまでに依存してしまうくらい飲み干してまで。

 

 

「Sea and The Darkness」の楽曲に立ち返る。アルバムの終盤にある楽曲「ブルース」ではこう歌われる。

愛は噛み砕かれて ガムのように膨らんで

狭過ぎるこの部屋の中で 僕らを押しつぶしていった

パンと乾いた音が鳴って すべてが消え去ってしまうと

無駄にしてしまった時間と 落ちていく自分を見ていた

ああもう いかなきゃ

愛は紙くずだった 可燃性の乾いた愛は

暗過ぎたあの部屋の中で ただ唯一の灯りとなって

焦げついてしまうその前に 誰かが水をかけやがった

光を失ったと同時に 君もいなくなってしまった

だからもう いかなきゃいけないんだよ

 

ここでは愛を失ってしまい駆られるように部屋の外へと行く主人公の感情が、「このアルバムはクソだ ウソだよ」と、バンド自身の感情と交差しながら歌われた。

 

 

どちらも私には、同じものに眼差しを向けているように思えるのだ。しかしそこから至った考えは違うようにも思える。何が違うんだろうか。

「ブルース」では、今の感情に焦点が向かっている。今に至る過程を思い浮かべながら、愛を失った今の状況を抜け出すために走り出そうとしている。

一方で「1988」では、進む道のりの先を向いている。変転するであろう今後を思い浮かべながら、愛そのものを確かめながら、今のハッピーには拘らず走り抜けている。

 

 

続いていく道のり、バンド活動、人生。「続いていくこと」を意識して初めて、今抱く感情を蔑ろにせず、しかしそこに囚われすぎることなく、先は見えないけど今日も愛情だけは確かにしながら進んでいく。そんな考え方に至った作品だったのかもしれない。

www.cinra.net

 

9.南下する青年 

 俳優・声優である宮本充さんの語りによって上巻は締めくくられる。

 

継続、関係、生活、感情、おもちゃ、絵、答え合わせ、曖昧、幼稚、空虚、愛情。

 

ここまでの楽曲で触れてきたあれこれが、改めて青年の脳内で反芻される。

そしてまた、南に向けて走り続ける。

 

(後編に続く)

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「音楽が人生を変えた」新星ポップスターBeaux

www.tiktok.com

 当時20歳だった青年は、ある音楽フェスに足を運んでいた。

2019年8月23日、イギリスで行われたReading Festival1日目のメインステージ。そのヘッドライナー、つまりトリを飾ったアーティストのパフォーマンスを目の当たりにした彼の人生は、ここから大きく動くことになる。

ステージに立っていたのは彼が愛してやまないロックバンドThe 1975だった。

 

 

 

 時は遡る。この物語の主役はBeaux(beaux south)だ。

15歳の頃からミュージシャンを夢見ていた彼。Charlie PuthJustin Bieberのキャリアを参考に、SNSを始めたりカバー動画をYouTubeにアップするなどしていた。

 

教育課程修了後はより音楽活動に集中することになる。

 

2018年12月、The 1975がリリースした3rdアルバム「A Brief Inquiry Into Online Relationships」は、彼にとっても大きな影響を及ぼされる作品として、楽曲制作にも取り組みたいと考えるきっかけとなった。

 

楽曲制作等の理論や技術はネット上の動画から学んだ。また近所で犬の散歩をしていた際に知り合ったご近所さんがピアノを弾いていると知ると「ピアノを弾いてくれないか」と勧誘し、今や音楽活動のみならず私生活上でも大切な友人を得ることになった。

 

 

そして月日は流れ、冒頭に至る。圧巻のパフォーマンスに感動した彼は、The 1975の所属するレーベルDirty Hitの設立者にしてマネージャーでもあるJamie OborneにDMを送る。

「彼らのライブとても素晴らしかったよ。」

すると思いがけずJamieから返信が来た。

「あなたもアーティストですか?」

 

そこで彼は良い機会だと思い、EP(ミニアルバム)用デモ音源のリンクを送った。

すると、なんということだろうか。Jamieは彼をレーベルでの会議に誘い、そのまま所属契約を結んでしまったのである。(そのすぐ後にはThe 1975のMatty Healyからも彼の楽曲が好きだとメッセージをもらい、人生で一番興奮したとのこと) 

 

 

www.tiktok.com

 

そしていよいよデビューEP「I Don't Want To Make It Alone, I Want To Make It With You」が8月20日にリリースされる。奇しくもReading Festivalからちょうど約1年だ。

彼自身の抱える様々な感情や経験がポップスに乗せて描かれた、これまで製作された楽曲が詰まっている。

音楽面のみならず各デザインやMVなど自宅で制作されたこの作品を聴くのがとても楽しみ。

 

 

参考記事

www.nme.com

 

 

I Don't Want To Make It Alone, I Want To Make It With You [Explicit]

SUPERSONIC2020で夢に描いた光景

東京1日目

 9月も下旬というのにまだまだ残暑厳しい気候だ、それは逆に言えば絶好のフェス日和でもあるのだが。

今年も海浜幕張駅に降り立った。やはりというか朝から構内は、思い思いの格好に身を包んだ、しかし「同じ目的で来たんだろうなあ。」と一目でわかる人々で溢れていた。

 

駅からマリンスタジアムまでの徒歩約20分はワクワクを増幅させる儀式。既に会場内の音やらが聴こえてくるのを耳に反響させながら、「今日はどのアーティストを見ようかな。」と結局昨晩まで考えても決まらなかった答えをここでも考える。(入場口あたりで「まあノリでいいか。」と諦める。)

 

いよいよ入場。会場に居合わせた知り合いの方々と思い思いに立ち話を済ませつつ、楽しみにしていたBeabadoobeeのライブが始まった!10月には1stアルバムも出すというグッドタイミングで新曲もたくさん演奏してくれて、ギュンギュンギターが鳴ってて気持ち良かったなあ。

昼下がりには、暑さを忘れさせてくれるようなAuroraのライブを見た。北欧の空気なのか、観客がみんなその世界観の中の住人になったかのような感覚。

フェス飯を舌鼓を打ちつつ、ふらりと立ち寄ったSquid, Vaundyのライブも素敵だった。ここまでくるとどのステージに行っても楽しそうで、ついフラフラと歩き回ってしまう。

 

ASIAN KUNG-FU GENERATIONのステージでは相変わらずゴッチがのらりくらりとMCで喋ったり、かと思ったら御馴染みのロックを惜しげもなく披露してくれて、積み重ねられたキャリアに裏打ちされたその緩急の妙に大盛り上がり。

 

少し秋を感じるような涼しさが出てきた夕暮れ時、ついにLiam Gallagherが登場。久しぶりのライブということで本人のエネルギーも溜まりに溜まっていたのか、ソロ曲もOasisの曲もフルスロットルで披露してくれる。「フェスの名前を見たとき、俺らの楽曲から取ったのか?と思ったぜ!」なんて冗談吹きながら、"Supersonic"を披露してくれた時のスタジアム内の大熱狂には痺れた!

 

本日のヘッドライナーは待ちに待ったThe 1975!去年のサマソニでのライブは伝説的に焼き付いているが、今年出したアルバムを踏まえついにフルセット90分のライブを1秒たりとも聴き逃すまいとする会場内の熱気がすさまじい。ライブ終盤、"Guys"のあの歌詞を皆で合唱した瞬間の光景、その感動が忘れられない。

 

 

2日目

少しの疲労を感じながらもアドレナリンのおかげか昨日よりむしろ上がったテンションを引き連れ、本日も会場へ向かう。

 

今日はゆったり見る予定。昨日ゆっくり話せなかった友人たちとビーチのステージを遠くに眺めながら談笑する。「昨日何見た?あれよかったよな!」「明日は絶対これ見逃せないぜ。」なんて。

そうしているうちに時間となり「すまんちょっと前の方行ってくるわ!」と言い残し向かったのはEasy Lifeのライブ。野外に棚引く潮の香りや海風にぴったしな演奏に気持ち良く身体を揺らす。

 

再びゆったり過ごしながらも、iri, きゃりーぱみゅぱみゅのステージを楽しんだり、Creepy Nutsの"よふかしのうた"が聴けてテンション爆発したり。

 

本日一番のお目当てはConan Grayだった。今年1stアルバムを出したばかりだったのに、既に抜群のオーラとステージパフォーマンスに終始圧倒されっぱなし、もう夢中で見た。

 

Grimes(WarNymph)がどんなDJアクトするんだろうと思って覗いたステージや、多くのファンが飛び跳ねていた石野卓球のステージも楽しかった!どんどん身体が温まっていく感じ。

 

そうしてくたくたになったので、スタンド席で見ることにした今日のヘッドライナーSkrillexも凄かった。もう終始会場内を沸かせ続け踊らせていたその光景はとても印象に残る光景だった。

 

 

3日目

最終日ともなると少し寂しくなる。もうぶっ倒れるくらい楽しみ切ってやろうと俄然テンションをあげつつ、会場に到着。

 

とにかく見たいアーティストが多い。IDKNOWのステージの爽快さはすごくテンションがあがったし、女王蜂の演出・パフォーマンス込みの煌びやかなステージもよかったなあ。

 

少し軽食をとって、去年サマソニでも素晴らしかったAlec Benjaminや、やっぱり見逃せない藤井風のライブを立て続けに見ると、「こんな1日のうちに素敵なライブをいくつも見ることができて良いのか?」と不安にすらなってくるほどの贅沢感に酔う。

 

今日絶対に見たかったのはDominic Fikeのステージ。出たばかりの1stアルバムを聴き込んで臨んだライブは本当に素敵な時間だった。彼独特の音楽とパフォーマンスに耳は釘付け、目が離せなかった。

 

友達におすすめされた88Risingのステージもよかった。Rich Brianを始めとした多くのアーティストが登場してとめどなく繰り出される楽曲にテンションの高まり止まり知らず。

やっぱり見たかったOfficial髭男dismの1時間少々のライブは展開の多さやポップなメロディに胸が弾んだ。みんな楽しそうな表情が印象的。

 

スパソニ最後を飾るヘッドライナーはPost Maloneだった。ド派手な演出に圧倒。ポップス?ヒップホップ?ロック?どれにも枠づけられない彼だけの音楽を耳にしながら3日間のいろんなステージを思い出したり。

 

ライブが終わり3日間の華やかな祭典を祝い打ちあがった花火は、今年も綺麗でした。

 

 

 

私が夢に描いた光景、それより更に素敵な時間が来年流れますように。

The 1975「Yeah I Know」歌詞和訳・解釈

 5/22にリリースされたThe 1975による4枚目のアルバム「Notes On A Conditional Form」収録曲である「Yeah I Know

 

シンセサイザーとドラムキットを用いたエレクトロミュージックであり、また歌詞は自己との対話が描かれているようです。

 

和訳だけ読みたい方もいらっしゃると思いますので、脚注は下段にまとめています。気になる方はそちらもご一読いただくとより楽しめると思います。

 

和訳

Pick a card

さあカードを選べ 

Yeah, I know

ああ、分かってるさ*1

Time feels like it's changed, I don't feel the same

時間は移り変わる、でも自分はそうではなかった*2

Live in Mars

火星に住め

Fuck it up

くそくらえ*3

Emas eht leef t'nod I, degnahc s'ti ekil sleef emiT

たっかなはでうそは分自もで、るわ変り移は間時*4

 

Stop the tube

テレビを止めろ

Kick the head

頭を蹴り飛ばせ*5

 

(Hit, hit, hit, hit, hit, hit, hit, hit)

Hit that shit, go hit that shit…

さあ扉を叩き開けろ…*6

 

Pick a card

さあカードを選べ

Yeah, I know

ああ、分かってるさ

Time feels like it's changed, I don't feel the same

時間は移り変わる、でも自分は同じではなかった

 

Try your best

最善を尽くせ

Yeah, I Know

ああ、分かってるさ

Emas eht leef t'nod I, degnahc s'ti ekil sleef emiT

たっかなはでうそは分自もで、るわ変り移は間時

 

 

解釈

 

*1:配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどういう意味であれ」とは漫画「ピーナッツ」のキャラクターであるスヌーピーの有名なセリフ。

motivation-up.com

 

この楽曲で描かれるのは自分自身との対話ではないでしょうか。まさしく配られたカードの中から選択する、自身の決断を迫られることからこの歌詞は始まります。そして分かってる、と自身に応える。

 

*2:世の中は常に変わっていくのに反して、自身の変化は感じられない。これは大きな焦燥感を生むものです。もちろん自身の変化と言うのは、往々にして他人からの指摘で知らされる部分が多く、自分では気づきにくいものでもありますが。

自身の変化の有無は別として、ネット社会の変化は急激でそこに身を置くのは難しい、というのは誰しもが持ったことがある感覚かもしれません。

 

*3:火星移住計画というのは度々議論となる話題ですね。火星に住むことについて「くそくらえ」と返してるのは、計画自体の実現が夢物語だということか、「The 1975」「People」で挙げている環境問題を宇宙移住で片づけるなんて馬鹿馬鹿しいということか、はたまた火星に移り住んでもいずれ同じように環境問題を引き起こすという皮肉なのか。

 

もっとも、火星移住計画はなにも子供の空想遊びというわけでもないようで、科学的な視点からも多くの指摘・提案など見られ、調べていくととても興味深いトピックです。

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

note.com

 

*4:

ここでは「Time feels like it's changed, I don't feel the same」が反転しているみたいです。

先で指摘したように、この楽曲は自身との対話であると感じます。言葉が反転するのは、何度も内心で考えを反芻した結果、思考がぐるぐる回る様子が表れているように感じました。

 

*5:頭を蹴り飛ばせ、とはどういうことなのでしょうか?私は2つ想像しました。

1つは部屋でゴロゴロしていたら、ダラダラしてないで何かしろと怒られている図です。一昔前の漫画とかで、口うるさいお母さんに蹴り飛ばされるみたいなコミカルな絵のような。

 

もう1つは比喩的なもので、思考を放棄するなというメッセージ。「kick」には刺激を与えるという意味もあり、世の中の出来事を見て自分で考えるべきだというのがこの一節の意味合いなのではないかと思います。

People」には

We need to get this in our fucking heads

という一節があり、同じく社会の出来事は退屈であっても考えなければならないということが伝えられています。

 

yamapip.hatenablog.com

 

*6:hit that shit」はタバコや薬物を摂取する、物を押す・叩く、男女で交わる等々いろんな用法があるようですが、ここでは「テレビを消せ」という言葉から部屋にいることが想像できたので、「扉を叩いて外に出ろ」と解釈しました。

www.urbandictionary.com

 

 

仮定形に関する注釈