音楽紀行(ライブレポ、アルバム感想・レビュー)

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サマソニでThe 1975を見て

 The 1975のライブを見た今、なぜ1st,2ndアルバムの楽曲がより良く響くようになったのか。

 Summer Sonic 2019東京1日目、時間は19時を過ぎたあたり。Mattyが「いち、に、Fuckin' Jump!!」と合図したのと同時に大満員のマリンステージ、アリーナを埋め尽くす観客たちは一斉に飛び上がった。凄かった、圧巻だった、なんて常套句では言い足りないくらい素晴らしいライブ、それに対する最大限の賛辞と感謝と喜びを皆が全身で表した瞬間だった。

 

 

 

 ライブが終わった後に知り合いの方と話していると、ある点で自分と同じ感想を抱いていらっしゃっていた。「不思議とライブを見た後1st,2ndアルバムの楽曲がより好きになっていた」ということだ。どうしてだろうかと考えてみる。その方は

ライブにおけるシリアスさの先にある1st,2ndアルバムの楽曲のポップさに、これまで以上の意味を感じ取ったからではないか?

とおっしゃっていた。

 

 なるほどそうすると、この疑問を紐解くにはやはりライブをいちから振り返ってみる必要があるだろう。

 

 

The 1975 @Summer Sonic 2019 Tokyo Day 1 (16/08/2019)

 「Go Down…」おなじみのSEが流れ始め、同時に後ろのスクリーンに文字が浮かぶと観客たちが一斉に歓声をあげる。それだけ待ちわびていた。デビュー以降日本でも幾度となくライブをしてくれていて、更には昨年に最新アルバム「A Brief Inquiry Into Online Relationships」という素晴らしい作品をリリースしていた。多くのリスナーが日本での彼らのライブを見たいと願っていたはずだ。

 

 トラックが鳴りやまないうちにメンバーが登場すると、あまりの興奮にアリーナ前方に位置する自分の周りの観客たちは大混乱。押し合いへし合いの末、右へ左へと流れていく人の群集!そんな私たちを更に沸き立たせようと、激しく点滅する照明とともに開幕を飾ったのは「Give Yourself A Try」だ。

 「TOOTIMETOOTIMETOOTIME」は一転、スクリーンのカラフルな映像も相まってそのポップさに誰もがうきうきと飛び跳ねる。one time,two timeと歌われるのに合わせて指を突き立てる観客の姿が印象的だった。

 勢いをそのまま引き継いで披露されたのは2ndアルバム収録曲「She's American

」だ。射抜かれるかのような鋭いドラムから始まるイントロ、軽快なカッティングギターやピンク色の照明にテンションが高まる。それにしてもこんなにかっこいい曲だっただろうか。4人が演奏する姿は向かうところ敵無し、といった様相だ。

 同じくサックスをフューチャーした「Sincerity Is Scary」では楽曲のMVを再現すべくスクリーンには街並みが映り、Mattyはあの「ピカチュウ帽」を被って歌う。ずっと興奮しきりだったアリーナの観客たちも、気づけば各々がピアノやサックスやドラムの音色に合わせ穏やかに揺れていた。まるでその場の誰もがMVにおける登場人物であるかのように。

 

 「It's Not Living (If It's Not With You)」ではギターを弾くMattyやダンサーのJaiy姉妹の楽しげなステップにつられて、首を左右に振りながらそのイントロに身を預けていた。この曲は恋愛の歌でもあり、ヘロイン中毒の歌でもあるように思う。

Collapse my veins, wearing beautiful shoes」という一節、veinとは血管のことでありまた心情を表すこともある。つまりは「美しい靴を履いた素敵な君(ヘロイン)は私の心情(血管)をめちゃくちゃにする」と言っている。魅力的でありながら自分の身を滅ぼす存在、けれどもだからこそそれなしでは生きていけないよ、と訴えるのだ。一際耳を引くポップさの反面悲しげで破滅的な部分も持ち合わせているこの楽曲は、まさに今のThe 1975自身のようでもあり、ただ楽しいんじゃなくぐっと心が深みへと引き込まれてしまう魅力があった。

 

 「I Like America & America Likes Me」 はこの日のライブの中で最も記憶に焼きついたシーン。銃はいらない、とアメリカの銃社会に警鐘を鳴らす曲。金切り声を上げ今にも壊れてしまいそうなからくり人形のように、Mattyが悲壮的に叫んだ「Being young in the city Believe, and say something」(街の若者たちよ。正しいと思うことを信じろ、そして声を上げろ)という一節がひどく響いた。

 

 「Somebody Else」を演奏する頃、サイドスクリーンを見上げると陽が翳りつつあることに気づいた。なんだか夕暮れのロケーションが曲に似合う。横から緩く吹きかかる風は、この楽曲がもつ甘美だがまたどこかビターでもある香りを会場中に棚引かせているようで、身体も揺らさず立ち尽くしたまま聴き入ってしまっていた。何だか今ならこの曲がどうして世界中のライブで観客の歓声を招いているのか分かる気がしたのだ。

 会場中に合唱が広がるのを耳にしながら「I Always Wanna Die (Sometimes) 」が人々の心を救う偉大なアンセムになり得ることを確信した。彼ららしいところは、あえて「死」というものにスポットライトを照らすことで生きるということを描いているところ。「いつだって私は死にたがってる」と多くの人々が歌っている光景は何も知らない人からすればひどく奇妙に映るだろうが、その実態は救いであり生への希望だ。

 

 そして鳴り響く「Love It If We Made It」で私は遂に感無量になった。曲中にて次々と凄惨な事件が並べ立てられるように、目を覆いたくなるようなひどい出来事が溢れているのはなにも海外に限らずここ最近の日本も同じだ。Matty自身にとってもそうだ。来日直前に行われたドバイ公演では同性愛者である男性の観客に対しキスを行ったことが国内で問題を招いていた。(人の自由や宗教、法律といった重畳的な問題であり、何が正しいかここで短絡的に述べるのはふさわしくないので、深くは割愛させてもらう。)

 しかしひどい状況のなかでこそ「Love It If We Made It」(何かを成し遂げるのは素晴らしい!)と歌われる。彼自身がその後サマソニ大阪公演のほうでこの件に触れ「抗議したいわけじゃなく、ただ一人の人間として在りたいように振る舞っただけだ。」と言ったように、頭を悩ますひどい物事に目をつぶることなく、自分がこうありたいと願うあり方のままでやりたい何かを成し遂げようと日々を過ごすことの素晴らしさ。これほど希望に満ちた力強いメッセージがあるだろうか。ステージ上の彼の姿こそがその素晴らしさを一番に示しているのを、周りの観客と同様この歌詞を大声で繰り返す私はひしひしと感じ取っていた。

 

 

 

 夕暮れ時とはいえ蒸し暑い日本の夏、ライブはここから佳境に向かうとあってMattyは会場の観客の盛り上がりを誉めつつシャツを脱ぐ。(余談だが着ていたのはRide「Nowhere」のTシャツ、湧いたロックファンも多かったはず!)

 

 そうして届けられたのは1stアルバムの楽曲「Chocolate」そして「Sex」だ。奇しくも彼らが初めてサマソニに出た2013年でも終盤に同じ順番で披露された2曲。これがめちゃくちゃかっこよかった。初めてこの曲を聴いたときよりなんだか何十倍もかっこよく聴こえた。

圧倒的なライブを前にして夢心地だった自分は、この時点でようやく「あっ、今自分はThe 1975のライブを見ているんだ」という実感を得たのだ。

 

 バッチリ合唱を決める観客たちの中には初来日時のステージを見ていた人も多いだろう。彼らには果たしてそのときと同じようにこの曲が響いたのだろうか。その場にいなかった私は推測で言うしかないのだが、違って聴こえたのではないかと思う。ステージにてスポットライトを浴びるのはメンバー4人のみ。デビュー当時と全く変わらないであろうその光景だが、その見え方は大きく変わったはずだ。

 バンドの立ち位置が違う。かつてはマンチェスターが生んだ新星ロックバンドとして、初めてのサマソニではソニックステージのトップバッターを務めた彼らも、今ではロックの未来を担うとまで称され世界中の注目を一身に浴びる。バンド自身もその役目を甘んじて受け入れ、音楽界のド真ん中で強烈なメッセージを放つ存在であろうとしている。

 一方でリスナーの聴き方だって違う。1stアルバムにおける既に高すぎる完成度に惚れ込んだ人だけでなく、2ndアルバムにおいてパッと広がった音楽性に心躍らせた人も、3rdアルバムの完全無欠のエネルギーにノックアウトされた人も、この会場における観客たちのバンドに対する耳の傾け方はそれぞれだろう。バンドの歩みの分だけ広がったリスナー層は、彼らの音楽の聴かれ方をより多様にしている。

 

 

 そうしてラストの楽曲「The Sound」が始まり、場面は冒頭へと戻る。私は会場中の様子を傍目に見ながら、このライブが単独公演でもなくまた他のステージでもなく、今ここマリンステージで行われて良かったと心から思えた。きっと単独公演なら、あるいは他のステージのトリを飾っていたならば、彼らの熱心なファン(自分含め)が多く集まりとてつもない盛り上がりを見せていたことだろう。しかし音楽フェスという場、それも3万人以上が集まる満員のマリンステージとあっては、The 1975に対する観客の見方もそれぞれだ。熱心なファンたちもいれば、評判を聞きちょこっと見てみようかなと来た人、前に登場したバンドやあるいは後に登場するバンドを見るついでに足を運んだ人など。あまり詳しくないのに一緒に来た人に連れてこられたという人だってきっといたはずだ。ライブが始まった当初そもそものスタート地点が違っていた観客たちが、約一時間にわたり披露されてきた演奏を経て「The Sound」という終着点に辿り着いたとき、皆そろいもそろって飛び跳ねていたシーンこそがこのライブの何よりの財産で、これはきっとこのステージこの時間でしか手に入らなかったのではないだろうか。

 

 

 

 冒頭の問いに戻ろう。The 1975のライブを見た今、なぜ1st,2ndアルバムの楽曲がより良く響くようになったのか。答えを示すのは、バンドそしてリスナー自身のあり方だ。

 

 最新作において彼らの音楽は覚醒した。自身の経験のみにあらず、世の中のあらゆる出来事を汲み取った歌詞。あるいはロックのみにあらず様々なジャンルの音楽を自身のものとして見事に昇華した楽曲。これらが、The 1975というバンドが聴き手に対して様々な聴き方を受容する懐の深さを携えることにつながっているように思う。
 その結果ステージにおける彼らの演奏に対し各々が異なる姿を見出だす。初めて楽曲を聴いたときには気づけなかったような様々な感情が引き出される。そうして向けられた視線や歓声がまるで乱反射して彼らを映し出すように、リスナーの意思が楽曲がリリースされた当時には持ち合わせていなかったような様々な意味合いを生み、かつての楽曲を今形作っている。だからこそ以前から演奏されていた楽曲が今、奥行きを持って感じられ豊潤でより魅力的に響いたのではないか。私はそう考えた。

 

 

 この文章を書いていたまさにその日、来るべき新しいアルバム「Notes On A Conditional Form」からの新曲「People」がリリースされた。これを聴いたリスナーは皆「きっとサマソニで見たライブと同じものを見る機会は二度と来ないのだな」と悟ったことだろう。バンドも年月を経るし、聴き手だって年を重ねる。その分音楽の聴こえ方はあっという間に変わってしまうのだろう。だからこそ、その時々に得られた感情というものはかけがえのない財産だ。音楽を聴いたりライブを見たりしたときの感想を、稚拙でも良いから誰かと話したり文章にして残すことはとても大切だと思う。


 当時高校生だった自分が、近所のCDショップに足を運び買った彼らの1stアルバム。それを棚から取り出し、プレイヤーを起動させてみた。あの頃はどんな風にして聴いていたのか、今となっては遠い昔のことのようで思い出せない。でも、それでいいのだ。大事なのは今の自分がどう感じるのかということ。わくわくしながら再生ボタンを押した。時代を揺るがすThe 1975というバンドの歩みをリアルタイムで共にできる幸せ、それを充分すぎるほどぎゅっと噛み締めて。そしていつかまたあるであろう日本でのライブを想像して。

 

セットリスト

  1. The 1975(ABIIOR)
  2. Give Yourself A Try
  3. TOOTIMETOOTIMETOOTIME
  4. She's American
  5. Sincerity Is Scary
  6. It's Not Living (If It's Not With You)
  7. Somebody Else
  8. I Always Wanna Die (Sometimes)
  9. Love It If We Made It
  10. Chocolate
  11. Sex
  12. The Sound

君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。