音楽紀行(ライブレポ、アルバム感想・レビュー)

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「BBHF1 -南下する青年-」を読んで (前編)

どうして青年は南下することに決めたんだろう?

南下「した」でもなく、南下「している」でもない。南下「する」のだ。

南下するのは「少年」ではなく「青年」だ。

 

 

BBHFがリリースしたアルバム「BBHF1 -南下する青年-」は2枚組17曲の作品。上下巻、と分けて小説のようなコンセプトで作り上げられた物語である。

この物語は北から南へと移動する青年の物語を描きながら、BBHFというバンドの自叙伝でもあり、また誰しもが過ごす生活の写し鏡でもあるようだ。

 

それならば冒頭の疑問を解き明かすには、このアルバムの音楽に耳を傾けながら、BBHFのこれまでの歩みを踏まえつつ、その一方で自身の生活をも重ねて読み解いていく必要があるのだろう。

 

 

1.流氷

踏みしめればザクザクと砕けて溶けていってしまう、それが流氷だ。定義によれば、陸地に定着している定着氷以外を指すのだという。

 

そして流氷それ自体も、こと北海道に流れ着くものでいえばオホーツク海

北岸から「南下する」存在。オホーツク海は北半球における流氷の南限なのだ。www.giza-ryuhyo.com

 

流氷とは、南下することに決めた青年であり、バンドとしての第一歩を今にも踏み出そうとしているBBHFであり、そして日々のなかで苦しみや辛さに打ちのめされながらそれでも暮らし続けている僕ら自身なのである。

 

今にも砕けようとする流氷、そのひび割れの音がドスドスとなるドラムや分厚いベース、歪んだギターの音色の中から聴こえてくる。

 

2.月の靴

BBHFの1stアルバム(当時はBird Bear Hare and Fish名義)のタイトルでもある「Moon Boots」とは何だろう?

あるイタリアの会社が作ったスノーブーツはMoon Bootと呼ばれているらしい。30年以上のロングセラーを経て今では普通名詞としても使われるとか。

www.jiro.co.jp

ならば合点がいく。北から移動することを決めた青年が、雪や氷をざくざく踏みしめて進むための靴のことだ。

 

そういえば「月」と「ブーツ」で思い浮かぶのは、アポロ11号に乗って月に降り立ったニール・アームストロングだ。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」という有名な発言とともに、月面に確かな足跡を残した彼。

www.afpbb.com

そう考えるとこれは青年、あるいはバンドの踏み出した第一歩そのものをも指すのだろう。

以前のインタビューで、1stアルバム「MOON BOOTS」は

BBHF(Bird Bear Hare and Fish)を結成して最初の第一歩で。今回の歌詞は全曲が、現状から良くも悪くも一歩を踏み出すことをテーマにして。その踏み方は良いものもあればダークなものもあって、その"一歩、踏みこむ瞬間"を歌にしました。

と語られている。

ototoy.jp

 

どこかふわふわと浮遊感のあるサウンド、さながらまだ行く末も分からず浮足立つ不確かな第一歩のよう。

 

3.Siva

ヒンドゥー教の神であるシヴァ神。様々な別名を持ち、ダンス・舞踊を司るナタラージャ(舞踏神)としての姿も。

そんなシヴァ神を最も表すものとして挙げられるのは、「恐ろしくも喜ばしい」「破壊と再生・恩寵」といった二面性である。

ja.wikipedia.org

 

BBHFがこのアルバムを出す前にリリースした2枚のEP「Mirror Mirror」「Family」は、様々な要素を2つの軸として対照し同時に表現することに試みた連作だった。

2つの軸を同時に表現していくというやり方を、今後も続けていきたくて。2つの方向性を同時に走らせて、より大きな絵を描けるバンドになりたい。

www.cinra.net

 

今作でも継続して上下巻、南北というように2つの軸を意識している部分は、不思議とこのシヴァ神の二面性にも通じるように感じた。

 

生活というものも、人間関係や愛情も、一面では語れないものだ。

暗闇や悲しみから目を背けていては、何もわからない。だから対峙することで見えてくるものを探ることが、僕らの生活には求められているのではないか。

 

それはきっとこれまでの暮らしを捨て去った青年も同じで、名前や在り方を変えたBBHFも同じ。「破壊と再生」なのだ。

 

4. N30E17

'N30E17'とはどこかの座標なのだろうか。北海道なら札幌に30条東17丁目があると知り合いの方が仰っていた。

いずれにしても青年はこの「どこか」を南へと走る、日照りに嵐に身を襲われながら。

 

ここで南下する目的が明かされる。

それは人間性を取り戻すこと。生きるため、正気を保つために理性を選ぶのだと。

そのためには大切なものすら置いていく道のり。

 

理性の対義語は感情か。ならば人間性を形作るものとは思考を巡らせることではないか。

生活を送る中で差し掛かる苦しみやつらさ。現実はそううまくはいかない。

ならば人を人たらしめるものとは、その現実を苦しい、つらいとただ叫び尽くすことではなく、その現実と向かい合ったうえで、この生活を続けるためにどうして行こうかと考え続け、変化し続け、歩みを進めていくことではないか。そう、青年の進める歩みとは現実逃避ではなくその今の生活を愛し続けるためのもの。

 

 

人は生活を続けるために、変わり続ける。

青年はより良い安住の地を求めて、南へと走る。

バンドは音楽を奏でる楽しみや喜びを失わないように、BBHFへと姿を変えた。

 

きっとそういうアルバムなのだ、この作品は。

青年の感情の揺れ動きを表すような、アコースティックギターの音色からアンビエント、そしてスケールの大きなロックへと大胆な変化。決意のような意思がひしひしと伝わる、シリアスな演奏が突き刺さる。

 

5.クレヨンミサイル

知らずにいること、無垢なままでいること。これほど楽しいことはない。明日のことなんて考えずもっぱら公園で遊び尽くした子供時代を思えば明白。

しかしそのままではいられないのだ。人はいつしか大人になってしまう。

 

Galileo Galileiというバンドは、「おもちゃの車」として歩みを終えた。

Galileo Galileiを乗り物だとすると、俺たちはデビューした頃から、ずっとオモチャの車に乗って進み続けていた感じなんです。でも大人になって体もでかくなって、今はもうぎゅうぎゅうになっていて、このまま乗り続けたら、いずれひどい形で車から転げ落ちてしまうんじゃないかって思ったんですよ。

natalie.mu

 

おもちゃの車を降りて、新しい車を(いくつか)手にしたバンド。ではもう楽しくなくなったのか?いや彼らは今こそ純粋に音楽を奏でることが楽しいのだと口々に語る。

 

同じように青年の旅路も、もちろん過酷なものなのだろうけどそれは暗いばかりの道のりじゃなくて、楽しみを見いだせる出会いや発見が多く待ち構えているのではないか。

 

大人になってしまって、子供のままではいられない違和感や恐怖や痛みも知った。それでも現実を生きて、楽しいことを考えようと歌われるのは、どんな言葉よりもワクワクする希望のメッセージだと、弾むようなメロディを聴きながら感じる。

 

6.リテイク

やり直すことが許されない時代だ、なぜなら一度の過ちが瞬時に衆目に晒されるから。

それでもここでは「リテイクする」と歌われている。

 

生活・暮らしを続けていくには、常に変わっていく必要がある。

人間関係においても、それが長ければ長い程変化していくもの。

だからこそ何度でもやり直して、より良いものを作り上げていくのだ。

 

私たちが聴いている音楽も、アーティストが繰り返すリテイクの末に届くもの。

BBHFがリリースしたEP「Family」でも、旭川の一軒家を借りて合宿したメンバーたちはデモ曲をもとにテイクを繰り返し、楽曲させたとインタビューで語っている。

natalie.mu

 

 

お互いを許し合い「やり直せる」間柄、それはずっと続く生活を担保するもの。

そんなかけがえのない人間関係へのラヴソング。

 

7.とけない魔法

溶けない」魔法?「解けない」魔法?

楽曲の英訳「Unbreakable Spell」を踏まえてもわからない。

 

流氷」で歌われたのは、ザクザクと砕けて溶けてしまう流氷。でもここでの魔法は流氷が砕けないように包み込んでくれた「溶けない」魔法だ。

ショーを終えようとしても、タネを明かしても、あなたは魔法にかかったまま魅了されてくれている。「解けない」魔法だ。

 

これは何年も前に出会った大切な相手との素敵な関係を歌った楽曲のように思える。初めて出会った時は「こんな素敵な人がこの世にいるのか!」と、魔法にでもかかったかのように鮮烈な感情も、共に日々を経ることでときに慣れ、またときに変化して失われてしまうことが常なのかもしれない。

それでもなお未だに、お互いに魔法にかかったままでいられる、そんな素敵な関係。

 

BBHFにとってそんな存在なのは、Galileo Galileiとして歩みを始めた頃から今に至るまで、ずっと彼らの音楽に魅了し好きでい続けてきたファンやリスナーの人々なのかもしれない。そう思うと、少しうるっとした。

 

8.1988

闇を纏いながら、夜を駆けるような楽曲。アップテンポな音楽に自然とマッチする。

 

このバンドはかつてもその闇と対峙したことがある。「Sea and The Darkness」はGalileo Galileiとして出した最後のオリジナルアルバムだった。そのテーマは

自分たちのこの数年の人生と、引き裂かれるような悲しみからどうにか逃れようとすること

natalie.mu

孤独や悲しみ、死の香りまで。その暗がりに焦点を当てて思考を巡らせることでこの作品は出来上がっていった。アルバムのラストを飾る楽曲「Sea and The Darkness II (Totally Black)」の締めくくりから一目瞭然ではないか。

 

青年は南下する道すがら、その暗がりを行く。

物事は変転するし、世の中の空気もどこかどんよりとしている。

死ぬよりも怖いものを抱え、人生を切り売りしてでも、駆け抜けていく。

愛情を燃料にして、病的なまでに依存してしまうくらい飲み干してまで。

 

 

「Sea and The Darkness」の楽曲に立ち返る。アルバムの終盤にある楽曲「ブルース」ではこう歌われる。

愛は噛み砕かれて ガムのように膨らんで

狭過ぎるこの部屋の中で 僕らを押しつぶしていった

パンと乾いた音が鳴って すべてが消え去ってしまうと

無駄にしてしまった時間と 落ちていく自分を見ていた

ああもう いかなきゃ

愛は紙くずだった 可燃性の乾いた愛は

暗過ぎたあの部屋の中で ただ唯一の灯りとなって

焦げついてしまうその前に 誰かが水をかけやがった

光を失ったと同時に 君もいなくなってしまった

だからもう いかなきゃいけないんだよ

 

ここでは愛を失ってしまい駆られるように部屋の外へと行く主人公の感情が、「このアルバムはクソだ ウソだよ」と、バンド自身の感情と交差しながら歌われた。

 

 

どちらも私には、同じものに眼差しを向けているように思えるのだ。しかしそこから至った考えは違うようにも思える。何が違うんだろうか。

「ブルース」では、今の感情に焦点が向かっている。今に至る過程を思い浮かべながら、愛を失った今の状況を抜け出すために走り出そうとしている。

一方で「1988」では、進む道のりの先を向いている。変転するであろう今後を思い浮かべながら、愛そのものを確かめながら、今のハッピーには拘らず走り抜けている。

 

 

続いていく道のり、バンド活動、人生。「続いていくこと」を意識して初めて、今抱く感情を蔑ろにせず、しかしそこに囚われすぎることなく、先は見えないけど今日も愛情だけは確かにしながら進んでいく。そんな考え方に至った作品だったのかもしれない。

www.cinra.net

 

9.南下する青年 

 俳優・声優である宮本充さんの語りによって上巻は締めくくられる。

 

継続、関係、生活、感情、おもちゃ、絵、答え合わせ、曖昧、幼稚、空虚、愛情。

 

ここまでの楽曲で触れてきたあれこれが、改めて青年の脳内で反芻される。

そしてまた、南に向けて走り続ける。

 

(後編に続く)

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