Puma Blueと谷崎潤一郎「陰翳礼讃」
2021年1月29日に待望のデビューアルバムをリリースするPuma Blueですが、そのアルバムタイトル「In Praise Of Shadows」は和訳すると「陰翳礼讃」と表されます。この言葉は日本を代表する文学作家である谷崎潤一郎による同名の随筆が由来とされており、Puma Blue自身もタイトルをこの作品からとったと作品のステイトメントにて述べています。
I feel incredibly blessed to announce that my debut album, ‘In Praise Of Shadows’ is out January 29th, via @BlueFlowers
— Puma Blue (@pumabluemusic) 2020年9月16日
pre-order link: https://t.co/L4T9SMwHyG pic.twitter.com/FGrZSvOQAh
そこで今回は、Puma Blueの音楽性やデビューアルバムからの先行シングル「Velvet Leaves」の内容と、「陰翳礼讃」の考え方を絡めながら来たる新作の内容を空想していきます。
1. Puma Blueについて
Puma Blueは英ロンドンを拠点にして活動するシンガーソングライターJacob Allenのアーティスト名です。
2014年にSoundCloud上にアップした楽曲「Only Trying 2 Tell U」が多くのリスナーから注目を集めると、2017年には初めてのEPとなる「Swum Baby」(アートワークには写真家の吉行耕平の作品を使用)をリリース。2018年には2枚目のEP「Blood Loss」をリリースしました。
(こちらでより詳しく紹介してくださっていますので是非!)
彼の音楽の特徴は官能的でしっとりとした感触をもつ繊細な演奏と、そこに乗っかる彼の寂しげでありまた甘美さを帯びた歌声にあると感じます。大きく影響を受けたと本人が挙げるのはJeff Buckley, D'Angelo, J Dillaなど。
ジャズサウンドにソウルやファンク、ローファイやシューゲイザーといった様々な要素が織り交ざった音楽、といった風に紹介されることが多いようです。
2.「陰翳礼讃」と谷崎潤一郎について
谷崎潤一郎は明治末期~昭和中期にかけて活動した文学作家であり、「痴人の愛」「春琴抄」などが代表作として挙げられます。
「陰翳礼讃」は彼が昭和8年(1933年)から同9年(1934年)に雑誌「経済往来」に掲載した随筆です。ここでは日本伝来の生活様式・風俗に着目し、そこにある「影や暗がり」から生じる美しさが論じられています。その内容を簡単に紹介したいと思います。(文学について筆者は初学者であり、谷崎潤一郎の著作についても疎い部分が多いことを予めご理解いただきたいです。)
本随筆がかかれた当時の日本は、明治以降の文明開化・技術革新により西洋文明が日本古来の文化へと流入、急激に変化していました。日本家屋と電気・水道・ガス等設備の調和がどうにも上手くいっていない、というのがこの随筆の導入となります。
日本の厠を西洋由来の水洗トイレと比較して、薄暗さや徹底された清潔さ・静けさがかえって風流なのだ、などと述べながら、文明の利器を取り入れるのに古来の習慣や趣味生活へ順応するような改良はできないものかと嘆きます。
そうして着目するのは、様々な生活用品における西洋と東洋の違い。西洋紙と和紙・唐紙の紙質の違い。西洋で愛される輝く宝石と、東洋で愛される鈍い光の翡翠や曇りある水晶。あるいは銀や鋼鉄等を用いて光沢のある西洋の食器と、錫を用いて使い込むことでくすんでしまう東洋の食器など。
こうした差異の起因を彼は生活様式に見出します。古来の日本家屋には「陰翳」がつきものであり、これら生活用品の美しさはこの陰翳の中でこそ際立つのではないかと言うのです。ひいては日本古来の美意識はこの「陰翳」と結びついているという指摘です。
例えば、日本の漆器や蒔絵には紅や金が差されており派手に(下手すれば俗っぽく)感じるかもしれませんが、かつての日本家屋は蝋燭の灯りのみが光源であり、薄暗い中に浮かび上がる彩色こそが映えるのです。
日本家屋に目を移すと、広い屋根や縁側、障子や砂壁は外より射し込む日光の輝きを鈍らせます。仄暗さや繊細な明るさを楽しみ、部屋を包む影の僅かな濃淡こそが日本古来の美意識の対象だったのだと説きます。例えば京都や奈良の寺社仏閣に訪れたときに薄暗さを感じたことは無いか。そうした中で影を落とす床であったり、薄暗くて掛け軸が鮮明に見えないことが、かえってしっくり来るのではないでしょうか。
部屋の奥の暗がりに立て掛けられる金襖や金屏風、あるいはかつて滅多に外出しなかった女性の服装などを踏まえても、日本の伝統美とは、美を物体ではなく、物体と物体との創り出す陰翳・明暗に見出すものだと彼は結論付けます。
3. 新曲「Velvet Leaves」と来たる1stアルバム「In Praise Of Shadows」について
さて長くなってしまいましたが、上記の通り「陰翳礼讃」とは一言で言うならば、暗がりにあってこそ美しさが際立つ存在を愛する美意識であると私は考えます。
それではJacob Allen(Puma Blue)は1stアルバムにどのような思いで「In Praise Of Shadows」と名付けたのでしょうか。ひとまず収録曲である先行シングル「Velvet Leaves」について触れてみましょう。
この曲にはついては彼自身がSNSにてどのようなメッセージを込めたのか解説しているので、まずはそちらを紹介します。
(2/4) I wrote this song very quickly one day last year, but it took much longer to process what I was trying to say. 5 years ago, my sister was in a really bad place and one day we nearly lost her.
— Puma Blue (@pumabluemusic) 2020年9月15日
(3/4) By the grace of the universe she survived, and now words can’t communicate how proud I am of the strong, beautiful, wise woman she is. This song is just a reflection on that day, how much I love her, how we came together as a family, about the veil between death and life...
— Puma Blue (@pumabluemusic) 2020年9月15日
(4/4) & the toxic masculinity that had a hold of me when I couldn’t/wouldn’t express myself at the time.
— Puma Blue (@pumabluemusic) 2020年9月15日
The video is a small tribute to my sister in the form of a retelling of the myth of Orpheus & Eurydice, inspired by Jean Cocteau’s version & dir by the wonderful @Harvpearson
「私はこの曲を昨年あっという間に一日で書き上げてしまいました。しかし言おうとしていたことを形にするのはとても長い時間を要したのです。5年前私の姉(妹)はひどい状況にあって、ある日私たち家族は彼女を失いかけたのです。
天の恵みのおかげで彼女は生き永らえました。今では彼女の強さ、美しさ、賢さを、言葉では言い表せないくらい誇らしく思っています。この曲はまさしくあの日(彼女を失いかけた日)を映し出していて、どれほど私が彼女を愛しているか、家族として寄り添ってきたか、また死と生を包み込むベールについて、そして当時ステレオタイプな男性らしさというものに抑圧されて自身をうまく表現できなかった体験を歌っています。
(楽曲の)MVは彼女へのささやかな贈り物です。オルフェウスとエウリュディケのギリシャ神話*1を自分なりに表してみたもので、ジャン・コクトー*2の作品に影響を受けています。ディレクターとしてHarvey Pearson*3が素晴らしい仕事をしてくれました。」
本人の解説する通り、この曲は自身の姉(妹)が自殺を試みた体験が題材となっています。詩的な表現も多く解釈が難しいのですが、歌詞におけるポイントはこの一節でしょうか。
And in this dream we fall through velvet leaves
Ushered in reverse through the silk-like purse
Outstretching, unending, except for the ends of you
見ていた夢はVelvet Leaves(イチビのこと。この曲のアートワークにはイチビの果実のようなものが写っている。)のなかを通り抜けていくような、あるいは絹の財布('can't make a silk purse of a sow's ear'=「瓜の蔓に茄子はならぬ」ということわざに用いられるように、上質なものの例えで用いられる)へと吸い込まれるかのようなものであり、どこまでも広がっていく感覚だったとここでは述べられています。表現を鑑みるにそれはとても美しく素敵な夢だったと推測されます。ただしそれは「あなたの死」を除いて。(endsが複数形なのは何度もこの夢を見ているということ?)
Except for the ends of you
Where's that little girl I knew?
「君の死を除いて 私の知っているあの少女はどこ?」
と繰り返す終盤は、歌声や音楽も相まって切実に響き胸に差し迫ってきます。
彼は「姉(妹)が体験したこと、私たち家族が体験したことの美しさについて歌った希望ある楽曲にしたかった」と語っています。なのでこの楽曲の伝えたい本質とは「大事な存在を失ってしまうのは悲しい」ということではなく、喪失というものを想像した上で「大事な存在の素敵さ、尊さを確かめる」ということ。
つまりは苦痛に感じるような暗いものを受け止め対峙することで希望の光を見出す、その一つの形が彼自身の経験に基づきこの楽曲で描かれているのではないでしょうか。
これって、暗闇の中において美しさを見出す「陰翳礼讃」の美意識に似ているような気がします。ここで彼のアルバムタイトル、ひいては今回の記事のテーマへとつながるのです。
Puma Blueの楽曲を聴くたびに私は、夜や暗闇をイメージしていました。それは楽曲の官能的な雰囲気や彼の歌声だったり、あるいは「Lil Lude (Dark Embrace)」「Moon Undah Water」「Midnight Blue」といった楽曲のタイトルや、夜の一場面を切り取ったような各EPのアートワークから連想していたのかもしれません。しかし私は決してそのイメージに対して不安だったり恐れを感じていたのではなく、むしろ居心地の良さや癒しを感じていました。
だからこそ、彼が満を持してリリースするデビューアルバムのタイトルが「In Praise Of Shadows」であることは、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」について知った今、とてもしっくりくるのです。彼自身がアルバムについて「暗闇の中で光を見つけることについての作品」だと語っていたように、苦悩や不安といった暗がりの中でしか見いだせない美しさを感じ取れるような作品になっているのではないでしょうか。薄暗い感覚のほうが馴染むような人々が、そこから無理して身を移さなくても魅力を堪能できるような芸術。彼のこれまでの楽曲や活動の結実といえるような作品が待っている気がします。
「陰翳礼讃」の末尾にて、谷崎潤一郎はこのように締めくくります。
私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとはいわない、一軒ぐらいそういう家があってもよかろう。まあどういう工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。
Puma Blueのアルバムは、まるで100年越しでこの考えに呼応したような音楽が詰まっているのではないでしょうか。そう空想すると楽しみも深まるばかりで、ぜひアルバムがリリースされた際には部屋の電燈を消してみて、じっと耳を澄ましたいと思います。
(インタビュー記事はこちら)
*1:オルフェウスの妻エウリュディケが毒蛇に噛まれ亡くなってしまい、彼は妻を取り戻すべく冥界の王ハーデ―スのもとを訪れるという冥府下りの物語。
*2:20世紀初頭より活躍したフランスの芸術家。詩人・小説家等のほか映画監督としても活躍し、1945年には映画「美女と野獣」の監督を務めた。(野獣のメイクは彼が1936年に日本を訪れた際、尾上菊五郎の鏡獅子に影響を受けた説がある。)
1950年には前述のオルフェウスの神話を当時の仏パリに置き換えた映画「オルフェ」の監督を務めている。Puma BlueがMVにおいて影響を受けたと言っているのはおそらくこの作品であり、MVはオルフェウスの神話を自身の体験に置き換えたということではないかと推測される。
*3:Harvey Pearsonは英ロンドンを拠点に活動する映像ディレクター・写真家。アーティストMVに関わった仕事としてはSam Smith'To Die For'(Spotify限定映像)やThe Japanese House'Maybe You're The Reason'など。