音楽紀行(ライブレポ、アルバム感想・レビュー)

ライブに行ったレポートやアルバムの感想・レビュー。好きな音楽を見つけるツールにも

誰が為どこで響く音楽か「SOUNDTRACKS」/ Mr.Children

"サウンドトラック"とは面白い音楽ジャンルだとつくづく思う。ロック、ポップ、ジャズ、R&B等々。今どきはジャンルの垣根を超えた音楽も多く枠にはめるのが難しい面もあるが、それらはその音楽の性質を、堅苦しく言わなければ「それってどんな音楽なの?」という疑問に答えるタグみたいなものだ。

 

そんななかでサウンドトラックというジャンルだけは、音楽の性質ではなくその音楽が作品・物語のなかで流れる点に着目したものだ。だから、当然どんな音楽なのかは聴いてみないと分からない。「ドラゴンクエスト(ゲーム)」なら冒険への高揚感が湧いてくるような音楽が、「リング(映画)」なら背筋が凍り付くような緊張感を高める音楽が、物語を演出する。

つまりは物語あっての音楽、それがサウンドトラックなのだ。

 

 

Mr.Children20枚目のアルバム「SOUNDTRACKS」は、そのタイトルの通りサウンドトラックだ。ならば誰にとっての、どこで、どんな物語を彩り流れるべき音楽なのか。

 

 

その疑問を解き明かすのは「Documentary film」だ。この曲こそが、アルバムの一貫したテーマを歌っている。その歌詞が描くテーマを、順番は左右するがほかの楽曲にも目を向けながら解き明かしたい。

 

今日は何も無かった 特別なことは何も

いつもと同じ道を通って 同じドアを開けて

誰の目にも触れないドキュメンタリーフィルムを

 

平穏だけど退屈な日々、それこそが普段生きる私たちの日常。きっとそこでは物語で描かれるような劇的な出来事はないし、自分自身もその主人公足り得ない。

 

2ndアルバム「Kind of Love」や3rdアルバム「Versus」の頃のサウンドを思い出す「turn over?」は、恋人とのラブソング。でもそれは恋愛ドラマや映画で見るような特別なものじゃない。'turn over'とはここでは、移り変わり・惰性で進んでいくという意味ではないか。疑問符がついているのは、行き先に確信が持てていないから。一発逆転で立ち直ったり物事が劇的に展開したり(ある意味でturn over=裏返る)したりするわけでもなく、長く時間を共にする恋人との関係は、じわりとゆっくり移り変わっていくもの。だから意思だけはここでしっかり改めておく(turn over=切り替える)、かけがえのない「最愛の人」にとって、自分が「理解者」になろうと決心している。そうしてまたこれまで続いてきた日常を、この先も続けていこうという歌だ。

 

 

昨日は少し笑った その後で寂しくなった

君の笑顔にあと幾つ遭えるだろう

君が笑うと 泣きそうな僕を

枯れた花びらがテーブルを汚して

あらゆるものに「終わり」があることを

リアルに切り取ってしまうけれど

そこに紛れもない命が宿っているから

 

長く長く続いていく人生。やがて訪れる終わりや別れからは逃れられないのだから、君の笑顔に寂しさを覚えるし、かえって君への愛おしさであったり、ひいては様々な生命の息吹を感じ取ることもできる。

 

君と重ねたモノローグ」には2分ほどの長いアウトロが続く。シングルで聴いていた頃には思っていなかったが、こうしてアルバムのなかで聴いていると、さながら'幕間'で流れているみたいだなと感じた。

「モノローグ」とは舞台用語で、相手への心情・考えを相手なしに'独白'する演出を指すらしい。一期一会の出会いからずっと共にいることは叶わなかったが、出会いそのものは今後も続いていく長い人生にとってずっと意味を持つものだと、ここでの「僕」は今日もまた独白する。そして'幕間'を挟んでまた人生は場面転換していくのだろう。

 

ずっしりと響く低音が耳を引く「losstime」では、時の経過を振り返りながら長くはない先を見据える老婆の姿。長い日々の中では必ず別れがあり、また自分自身も逃れようもなく'終わり'へと進んでいく。それが生活だ。

「出会いの分だけ別れがある」とは今更使い古されて陳腐な表現かもしれないが、この老婆の生活が寂しげであっても必ずしも悲しげに思えないのはきっと、長い人生のなかで積み重なった人々との出会いや関係性のおかげではないかと感じる。

 

memories」で、そうして積み重ねられた日常を振り返りながら、「君」への確かな愛情があった「美しすぎる記憶」として噛みしめる。代り映えしない日常であっても、積み重なって出来上がった人生は何よりも得難い財産だ。

 

 

希望や夢を歌った BGMなんてなくても

幸せが微かに聞こえてくるから そっと耳をすませてみる

ある時は悲しみが 多くのものを奪い去っても

次のシーンを笑って迎えるための 演出だって思えばいい

君と見ていた 愛おしい命が

 

そうして感じられた愛情であったり生命の息吹から、生命あるいはそれが根付く生活が、普遍的であってもみな一様に輝かしい存在だと気づく。

 

Birthday」は、主題歌を務めた作品のテーマとも共鳴した'生命の息吹'を。誕生から成長、その道中は発見にも挫折にもまみれている。それらを全てひっくるめて「新たな自分の誕生日だ」と称え、シンプルなバンドサウンドや美しいストリングスの音色に乗せた'生命讃歌'だ。

 

'生命讃歌'というのであれば「The song of praise」も一緒だ。こちらは厳密には生命ではなく「生活」讃歌だが。

「駅ビル」も「夕日」も見飽きるほどに馴染んだ日常であり、自分の可能性や未来に背を向けて、他人の夢に心を輝かせて、世界にとってたかが「小さな歯車」なのだと悟る。そんなの大部分の人々にとって共通で、私自身にとってもそうだ。

そのうえでそんな'普遍的'な日々すらも、いやそうしたものだからこそ「讃えたい」と歌う。

 

others」では愛情の交わり、と思わせてその過ちと背徳感・やるせなさについて。自分が相手にとって本命でない側だと自覚しながらも、一時だけの愛情を噛みしめ「窓の外の月」を眺める。そんな生活に対してすら壮大すぎるストリングスの奏でが添えられる。過ちを肯定するわけではないが、過ちのある生活であってもここでは等しく音楽が飾り包み込む。その人にとってはかけがえのない人生だから。

 

 

誰の目にも触れないドキュメンタリーフィルムを

今日も独り回し続ける そこにある光のまま

 

普遍的で誰に気を留められることもないような日常。それでも長く続くその道のりのなかにはたしかに愛情や生命の息吹が宿っていて、特別なことなんて無くてもその輝きは「物語」足り得るのかもしれない。日々を生きる人々の歩みこそがその輝きを運んでいるのだ。

 

どこか怪しげで毒々しい「DANCHING SHOES」では、四方八方に目配せしてバランスを取りながらうまく生きていかねばならない世の中を、自由に生きていくために立ち回っていこうと呼びかける。何も気にせず自分を貫き、思ったように生きていくのは何よりもかっこいいかもしれない。でもしがらみに縛られ周囲を気にしながらも必死にもがいていく生き方もかっこ悪くないと、舞台で舞う踊り子に例えて伝えている。

 

Brand new planet」は、新しい可能性を探す日々を壮大な宇宙旅行に例える。何の変哲もない日常の中でいつしか枯れてしまった夢、先が見えるわけでもない日々の中で迷っていいから再び未来へと探しに行ってみようという歌。Mr.Childrenにとってこれまでで一番といってもいいくらい瑞々しくも力強いバンドサウンドが、その旅の輝かしさを物語っているような気がする。

 

 

 

きっとこの「SOUNDTRACKS」は、普遍的で代わり映えのない私たちの生活のためのサウンドトラックだ。世界を救うための冒険も、超常的な恐怖体験もそこにはないけれど。

一日一日確かに進んでいく日常は「物語」足り得るものであり、その物語をこの音楽は彩ってくれているのだ。

 

 

いつかのライブのMCで、Mr.Children桜井さんは'非日常'としてのライブと、ライブが終わればまた観客たちが各々戻っていく日常について話していたような気がする。

奇しくも少し前から一変してしまった私たちの生活。平凡な日常から解き放たれるように、街を出て旅したり、コンサートに足を運んだり、きっと人によって様々なことをしていたのが、ただひたすらに自分の生活と向き合う毎日となってしまった気がする。

 

彼らのライブが刺激的な非日常を提供してくれるものだとするならば、この「SOUNDTRACKS」という作品は、これまでの彼らの楽曲がそうであったように、あるいはそれ以上に私たちの日常を彩ってくれるものなのだ。こうして誰に読まれるかも分からない文章をひたすら書いている者も、慣れないオンライン授業に悪戦苦闘している者も、日々自分の仕事をして世の中を支えている者も、他者への愛情を温めている者も、その日常をたちまち'物語'として成立させてくれるような、魔法のサウンドトラック。どこにでもいる私たちひとりひとりのために、それぞれのいる生活のなかでこそ響く音楽なのだ。

 

SOUNDTRACKS 初回限定盤 A (LIMITED BOX仕様/CD / DVD / 32Pブックレット)